「カール・ヤストレムスキー」の版間の差分

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|所属球団 =
|背番号 =
|選手写真ファイル名 = Yaz Signing autographs CROP.jpg
|写真サイズ = 300280
|写真のコメント = ファンのサインに応じるヤストレムスキー(2008年)
|国籍 = {{USA}}
|出身地 = {{Flagicon|USA}} [[ニューヨーク州]][[サウサンプトン]]
|生年月日 = {{生年月日と年齢|1939|8|22}}
|没年月日 =
|身長 = {{フィートとcm (身長用変換)|5|11}}
|身長 =
|体重 = {{ポンドとkg (体重用変換)|175}}
|体重 =
|利き腕 = 右
|打席 = 左
|年俸 =
|経歴 = <nowiki></nowiki>
* [[ボストン・レッドソックス]](1961 (1961 - 1983)1983)
|選出国 = アメリカ
|選出年 = 1989年
|選出方法 = BBWAA[http://en.wikipedia.org/wiki/Baseball_Writers_Association_of_America]選出
}}
'''カール・ヤストレムスキー'''('''Carl Michael Yastrzemski''', [[1939年]][[8月22日]] - )は[[ジャーカ合衆国]][[ニュグベスボール|メジャーリーグク州]][[サウサンプトン]]出身の元選手([[プロ球選手]]
 
23年間の現役時代すべてを[[ボストン・レッドソックス]]に所属。[[1967年]]に[[三冠王]]を達成。それ以来[[2012年]]に[[ミゲル・カブレラ]]が三冠王を獲得するまで45年間三冠王は現れず「'''最後の三冠王'''」と呼ばれていた。
 
== 歴 ==
=== プロ入り前 ===
[[ニューヨーク州]][[サウザンプトン (ニューヨーク州)|サウザンプトン]]にて[[ポーランド]]系の家庭に生まれる。愛称「Yaz」の名で親しまれた。子供時代は当然のようにヤンキースファンで、ヤンキースでプレイする事を夢見ていたが、スター選手が並ぶヤンキースでは出場機会も少ないのではないかと考え、ライバルであるボストン・レッドソックスへ入団した。
 
=== 現役時代 ===
[[1961年]]にメジャーリーグデビューを果たし、[[1963年]]に[[打率]].321で首位打者。[[1967年]]には打率.326、44[[本塁打]]、121[[打点]]で三冠王を獲得。
スター選手が並ぶヤンキースでは出場機会も少ないのではないかと考え、ライバルであるボストン・レッドソックスへ入団した。
 
{{by|1961年}}にメジャーリーグデビューを果たした。
1967年のレッドソックスは前年の[[アメリカン・リーグ]]9位から一気に1位に躍り出ることに成功し、「インポッシブル・ドリーム」と称された。しかし[[1967年のワールドシリーズ|ワールドシリーズ]]では[[セントルイス・カージナルス]]に3勝4敗で敗れ、[[1918年]]以来のシリーズ制覇はならなかった。
 
[[1961年]]にメジャーリーグデビューを果たし、[[{{by|1963年]]}}に[[打率]].321で首位打者。[[1967年]]には打率.326、44[[本塁打]]、121[[打点]]で三冠王を獲得。
[[1968年]]には打率.301で、メジャーリーグ史上最も低い打率での首位打者となる。タイトルを獲得できなかったシーズンでも、多くの部門で常に上位につける確実な活躍を見せつづけた。
 
{{by|1967年}}のレッドソックスは前年の[[1975年アメリカン・リーグ]]9位から一気再び1位に躍り出ることに成功し、「インポッシブル・ドリーム」と称された。しかし[[19751967年のワールドシリーズ|ワールドシリーズ]]に駒を進めるが、では[[シナティトルイスレッズカージナルス]]の前再び3勝4敗で敗れ、[[1918年]]以来のシリーズ制覇はならなかった
 
[[{{by|1968年]]}}には打率.301で、メジャーリーグ史上最も低い打率での首位打者となる。タイトルを獲得できなかったシーズンでも、多くの部門で常に上位につける確実な活躍を見せつづけた。
40歳を越えても懸命なトレーニングを行うなどして、現役生活は[[1983年]]まで、実働23年に及んだ。[[MLBオールスターゲーム|オールスター]]出場18回を記録。左翼手としての守備も高く評価され、[[ゴールドグラブ賞]]にも7回選出されている。通算成績は3308試合出場(史上2位)、3419安打(史上6位)、452本塁打、1844打点、打率.285、1845[[四球]](史上6位)。引退した1983年当時では、アメリカン・リーグの在籍のみで3000本安打と400本塁打を記録した唯一の選手となる(2010年現在では[[カル・リプケン]]もこの記録を達成している)。
 
{{by|1975年}}に再び[[1975年のワールドシリーズ|ワールドシリーズ]]に駒を進めるが、[[シンシナティ・レッズ]]の前に再び3勝4敗で敗れる。
[[1989年]]に有資格1年目で[[アメリカ野球殿堂]]入り。現役時代に変わらずつけていた[[野球の背番号|背番号]]'''8'''はレッドソックスの[[野球界の永久欠番|永久欠番]]となっている。
 
{{by|1983年}}に現役引退。
[[2012年]]、[[デトロイト・タイガース]]の[[ミゲル・カブレラ]]が45年ぶりに三冠王を達成し、「最後の三冠王」の名前を返上することになった。ミゲル・カブレラについて「チームを地区優勝に導く中で達成したことを祝福したい。私もリーグ優勝したレッドソックスの一員として達成できて、幸せだった」と話し、祝福した。
 
=== 引退後 ===
[[{{by|1989年]]}}に有資格1年目で[[アメリカ野球殿堂]]入り。現役時代に変わらずつけていた[[野球の背番号|背番号]]'''8'''はレッドソックスの[[野球界の永久欠番|永久欠番]]となっている。
 
[[{{by|2012年]]}}、[[デトロイト・タイガース]]の[[ミゲル・カブレラ]]が45年ぶりに三冠王を達成し、「最後の三冠王」の名前を返上することになった。ミゲル・カブレラについて「チームを地区優勝に導く中で達成したことを祝福したい。私もリーグ優勝したレッドソックスの一員として達成できて、幸せだった」と話し、祝福した。
 
== 選手としての特徴 ==
40歳を越えても懸命なトレーニングを行うなどして、現役生活は[[1983年]]まで、実働23年に及んだ。[[MLBオールスターゲーム|オールスター]]出場18回を記録。左翼手としての守備も高く評価され、[[ゴールドグラブ賞]]にも7回選出されている。通算成績は3308試合出場(史上2位)、3419安打(史上6位)、452本塁打、1844打点、打率.285、1845[[四球]](史上6位)。引退した1983年当時では、アメリカン・リーグの在籍のみで3000本安打と400本塁打を記録した唯一の選手となる(2010年現在では[[カル・リプケン]]もこの記録を達成している)。
 
== 詳細情報 ==
* 各年度の'''太字'''はリーグ最高
 
=== 獲得タイトル・表彰・記録 ===
*[[三冠王]] 1回:1967年
*[[最優秀選手 (MLB)|MVP]] 1回:1967年
*[[首位打者 (MLB)|首位打者]] 3回:1963年(.321)、1967年(.326)、1968年(.301)
*[[最多本塁打 (MLB)|本塁打王]] 1回:1967年(44)
*[[最多打点 (MLB)|打点王]] 1回:1967年(121)
 
=== 表彰 ===
*[[最優秀選手 (MLB)|MVP]] 1回:1967年
*[[ゴールドグラブ賞]] 7回:1963年、1965年、1967年 - 1969年、1971年、1973年
*[[ハッチ賞]] 1回:1967年
 
=== 記録 ===
*[[三冠王]] 1回:1967年
*[[MLBオールスターゲーム]]選出 18回:1963年、1965年 - 1979年、1982年、1983年
*MLBオールスターゲーム[[MLBオールスターゲーム最優秀選手|MVP]] 1回:1970年
*[[ハッチ賞]] 1回:1967年
* 同一球団所属年数:'''23'''([[ブルックス・ロビンソン]]と並び歴代最長タイ記録)
 
== 関連項目 ==
* [[メジャーリーグベースボールの選手一覧]]
 
== 外部リンク ==
*[http://www.yaz8.com {{commonscat|Carl Yastrzemski Official Site]}}
*{{bbhof|yastrzemski-carl}}
{{MLBstats |mlb= |espn= |br=y/yastrca01 |fangraphs=1014326 |cube=carl-yastrzemski |brm=yastrz001car }}
*[http://www.yaz8.com Carl Yastrzemski Official Site]
 
{{アメリカ野球殿堂表彰者 (左翼手)}}
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{{3000本安打クラブ}}
{{Boston Red Sox}}
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[[Category:1939年生]]
[[Category:存命人物]]
 
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