「アディスの戦い」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
m編集の要約なし
m編集の要約なし
19行目:
 
==背景==
紀元前256年、ローマの執政官[[ルキウス・マンリウス・ウルソ・ロングス]]および[[:en:Marcus Atilius Regulus|マルクス・アティリウス・レグルス]]が率いるローマ軍2個[[ローマ軍団|軍団]]が、カルタゴの本拠地である[[アフリカ]]に上陸した。ローマ軍はカルタゴの東40マイルにある[[:en:Siege of Aspis|アスピス]]を攻め落とした([[アスピスの戦い]])。街の守りを固め、約20,000の奴隷と家畜を郊外から集積した後、ウルソは補給部隊も含む艦隊の大部分を率いてローマに戻るように命令を受けた。15,000の歩兵と500の騎兵はそのままアフリカに残った。
 
その頃までに、カルタゴは[[シシリア島]]からハミルカル将軍率いる5,000の歩兵と500の騎兵を呼び戻し、ボスタル将軍とハスドルバル将軍の支援させた。カルタゴ軍は[[傭兵]]、アフリカ軽騎兵、民兵、騎兵および[[戦象]]部隊から構成されていた。この混成部隊はカルタゴ南東40マイルにある[[:en:Uthina|アディス]]の守備につき、ローマ軍を迎え撃った。騎兵と戦象で優越していたにも関わらず、カルタゴ軍はアディス近郊の平野を見下ろす丘の上に布陣した。しかしながら、軍は訓練不足で、また命令系統が統一されておらず、戦力としては十分ではなかった。カルタゴの戦略は防御戦に徹してローマ軍によるこれ以上の破壊を食い止めることであった<ref>[http://grognard.com/variants1/adys.pdf Battle of Adys 256 BC] A Scenario for Rome at War: Hannibal at Bay, by Stephen C. Jackson (2003). Retrieved on December 13, 2008.</ref>。