「蠣崎舜広」の版間の差分

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Naru0256 (会話 | 投稿記録)
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{{出典の明記|date=2016年9月}}
{{基礎情報 武士
| 氏名 = 蠣崎舜広
| 時代 = [[戦国時代 (日本)|戦国時代]]
| 生誕 = [[天文 (日本元号)|天文]]8年([[1539年]])
| 死没 = [[永禄]]4年([[1561年]])
| 改名 = 彦太郎([[幼名]])→舜広
| 別名 = 通称:宮内(通称)
| 諡号 =
| 戒名 =
| 墓所 =
| 官位 =
| 主君 = [[蠣崎季広]]
| 氏族 = [[蠣崎氏]]
| 父母 = 父:[[蠣崎季広]]、母:伝妙院([[河野季通]]・伝妙院
| 兄弟 = [[南条広継]]正室、'''舜広'''、[[明石元広]]、[[松前慶広]]、[[蠣崎守広|守広]]、[[蠣崎季広#系譜|ほか]]
| 妻 =
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}}
 
'''蠣崎 舜広'''(かきざき としひろ)は、[[戦国時代 (日本)|戦国時代]]の[[武将]]。[[蝦夷地]]の[[蠣崎季広]]の長男(嫡男扱い)
 
== 生涯 ==
[[天文 (元号)|天文]]8年(1539([[1539]])、[[蝦夷]]の[[戦国大名]]・[[蠣崎季広]]男として生まれる。父・季広に後継者に指[[幼され、]]は「'''彦太郎'''」。のちに元服し「'''蠣崎宮内舜広'''と名乗る(<ref>年代的に考えて「舜」の字は[[安東舜季]]より受けたものと推測されるが、読みも異なることから確定はし難い。</ref>」と名乗る。父からは将来を嘱望され後継者に指名されていたが、[[永禄]]4年([[1561年]]に[[南条広継]]の正室となっていた姉に毒殺されたという。享年23
 
== 脚注 ==
季広に将来を嘱望されていたが、永禄4年(1561年)に[[南条広継]]の正室となっていた姉に毒殺されたという。享年23。
{{脚注ヘルプ}}
{{reflist}}
 
{{DEFAULTSORT:かきさき としひろ}}