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May 28, 1979, Orioles at Royals Play by Play and Box Score|work=Baseball-Reference.com|language=英語 |accessdate=2013-03-06}}</ref>。打率.329・23本塁打・107打点、共にリーグトップの212安打・20三塁打の好成績で[[20-20-20クラブ|20-20-20]]も達成したが、チームは地区2位で4連覇を逃した。MVPの投票では3位<ref>{{Cite web|url=http://www.baseball-reference.com/awards/awards_1979.shtml#ALmvp|title=AL MVP Voting|work=Baseball-Reference.com|language=英語 |accessdate=2013-03-09}}</ref>。
 
{{by|1980年}}は6月から故障で1ヶ月離脱するが、復帰後の7月は打率.494、8月は.430<ref>{{Cite web|url=http://www.baseball-reference.com/players/split.cgi?id=brettge01&year=1980&t=b|title=1980 Batting Splits|work=Baseball-Reference.com|language=英語 |accessdate=2013-03-04}}</ref>と絶好調で、この間[[7月18日]]から30試合連続安打を記録<ref name="67674-33">[[千葉功 (野球公式記録員)|千葉功]]「三冠王」と「4割打者」への厚い壁 『メジャーリーグ 栄光の「大記録」』、[[ベースボールマガジン社]]、2005年、雑誌67674-33、71頁</ref>。[[8月26日]]の[[ミルウォーキー・ブルワーズ]]戦では5安打を記録して.407まで上昇<ref>{{Cite web|url=http://www.baseball-reference.com/players/gl.cgi?id=brettge01&t=b&year=1980|title=1980 Batting Gamelogs|work=Baseball-Reference.com|language=英語 |accessdate=2013-03-04}}</ref>するが、9月に右腕の腱を痛めて9試合に欠場<ref name="67674-33"/>。復帰後は失速し、{{by|1941年}}の[[テッド・ウィリアムズ]]以来の打率4割には惜しくも届かなかった。それでも打率.390・24本塁打・118打点、いずれもリーグトップの出塁率.454・長打率.664・OPS1.118の好成績で2度目の首位打者を獲得し、チームの2年ぶりの地区優勝に大きく貢献。4度目の対戦となったヤンキースとの[[1980年のアメリカンリーグチャンピオンシップシリーズ|リーグチャンピオンシップシリーズ]]では2本塁打・4打点活躍、第3戦では1点ビハインドの7回に[[リッチ・ゴセージ]]から特大の逆転3ランを放ち、チームは3連勝で悲願のリーグ初優勝を果たす。[[フィラデルフィア・フィリーズ]]との[[1980年のワールドシリーズ|ワールドシリーズ]]では、[[痔]]の手術を終えてから5時間後の第3戦で本塁打を放つ<ref name="67673-04"/>など打率.375を記録するが、チームは2勝4敗で敗退した。オフに初のMVP<ref>{{Cite web|url=http://www.baseball-reference.com/boxes/DET/DET198304200.shtml|title=Apr 20, 1983, Royals at Tigers Play by Play and Box Score|work=Baseball-Reference.com|language=英語 |accessdate=2013-03-04}}</ref>、同年から制定された[[シルバースラッガー賞]]を受賞した。
 
{{by|1981年}}は[[1981年のMLBストライキ|50日間に及ぶストライキ]]でシーズンが中断・短縮されたこともあって89試合の出場だったが、打率.314を記録。同年は前後期制の変則日程となり、チームは後期優勝。[[オークランド・アスレティックス]]との[[1981年のアメリカンリーグディビジョンシリーズ|ディビジョンシリーズ]]では打率.167に終わり、チームは3連敗で敗退した。