「パナマ運河地帯」の版間の差分

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|align="center" | '''中心地''' ||align="center" | {{仮リンク|バルボア (パナマ)|en|Balboa, Panama|label=バルボア}}
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|align="center" | '''管理施政者''' || align="center" | [[パナマ運河地帯総督・長官の一覧|総督]]
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|align="center" | '''面積''' ||align="center" | 1,678km²
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'''パナマ運河地帯''' (パナマうんがちたい、{{lang-en|Panama Canal Zone}}、{{lang-es|Zona del Canal de Panamá}}) とは、[[パナマ共和国]]の[[パナマ運河]]を取り囲んだ[[アメリカ合衆国]]のかつての[[租借地]]、[[アメリカ合衆国の海外領土|海外領土]](Territory)。
 
== 概要地理 ==
面積は1678Km²で、中心地は[[バルボア (パナマ)|バルボア]] (Balboa)。なお、パナマの首都[[パナマ市]]は運河地帯には入らない。
 
== 歴史 ==
[[1903年]]にアメリカがパナマと[[パナマ運河条約]]を締結し、パナマ運河の実質的運営権と両沿岸地帯の租借権を獲得し、[[アメリカ合衆国の海外領土]]とされた。しかし1977年に結ばれた条約により、[[1979年]]10月1日に主権がパナマに返還され、海外領土としての法的地位は終了した。これにより旧運河地帯の大半はパナマの行政権のもとに置かれたが、軍事基地や軍住宅、学校などの一部地区は引き続きアメリカが管轄した。これらの地区も漸次返還され、[[1999年]]12月31日に全ての地区が返還された。
[[1903年]]にアメリカがパナマと[[パナマ運河条約]]を締結し、パナマ運河の実質的運営権と両沿岸地帯の租借権を獲得し、[[アメリカ合衆国の海外領土]]とされた。
 
[[1903年]]にアメリカがパナマと[[パナマ運河条約]]を締結し、パナマ運河の実質的運営権と両沿岸地帯の租借権を獲得し、[[アメリカ合衆国の海外領土]]とされた。しかし1977年に結ばれた条約により、[[1979年]]10月1日に主権がパナマに返還され、海外領土としての法的地位は終了した。これにより旧運河地帯の大半はパナマの行政権のもとに置かれたが、軍事基地や軍住宅、学校などの一部地区は引き続きアメリカが管轄した。これらの地区も漸次返還され、[[1999年]]12月31日に全ての地区が返還された。
 
== 住民 ==
主に運河で働くアメリカ人とパナマ人、駐留するアメリカ軍人、およびその家族が暮らしていた。
 
[[アメリカ合衆国の海外領土|海外領土]]であるため、[[出生地主義]]によるアメリカ[[国籍]]の取得はできなかった。このため、この地で生まれた[[ジョン・マケイン]]が[[2008年アメリカ合衆国大統領選挙]]に出馬した際、大統領としてに就任するための法的資格について疑義を唱える者がいた。
 
== 関連項目 ==