「アウラングゼーブ」の版間の差分

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アウラングゼーブはヒンドゥー教徒の弾圧を強めたことで、ヒンドゥーの復興を掲げるマラーターの指導者シヴァージーと更なる対立に陥った。シヴァージーは帰還後、両者の関係は概ね平和であったが、シヴァージーは弾圧を見てプランダル条約を事実上破棄した。
 
[[1670年]][[1月]]以降、シヴァージーは帝国軍軍部の混乱を見て帝国領へと襲撃を掛け、[[10月]]にスーラトを再び略奪し、その領土を徐々に回復していった<ref name="p242">ロビンソン『ムガル皇帝歴代誌』、p.242</ref><ref name="p208"/>。
 
[[1674年]]6月、シヴァージーはヒンドゥー教の儀式に乗っ取り、マラーター王を宣し[[マラーター王国]]を創始した<ref name="p242"/>。こうして、デカンにはヒンドゥー教を奉じる王国が建設され、シヴァージーはアウラングゼーブの治世を通してその悩みの種であり続けた<ref name="p242"/>。