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'''ドクトル・マブゼ''''''Dr. Mabuse, der Spieler - Ein Bild der Zeit''')は1922年の[[ドイツ]][[映画]]。世界犯罪映画史に古典として大きな位置を占める、[[フリッツ・ラング]]作品である。
 
フリッツ・ラングは[[建築家]]の息子で、はじめは[[画家]]を志したが、[[第一次世界大戦]]時出征して3度も負傷、映画界に転じて脚本を書き、1919年から監督に進出したラングは、「死滅の谷」(1921年)でドイツ映画界の第一線に列し、続いてこの作品にとりかかった。原作はノルベール・ジャックの小説、脚本は当時ラングの夫人であったラングの第5作『さまよえる絵』("Das Wandernde Bild")に始まり『狂人マブゼ博士』(1932)までドイツ時代の彼の全作品に協力した[[テア・フォン・ハルボウ]]とランク自身の共同執筆。撮影はカール・ホフマン、美術はオットー・フンデとカール・シュタール=ウーラッハ。
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[[Category:ドイツの映画作品]]