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[[File:Kamakura of Hyogo 兵庫県のかまくら PC190041.JPG|250px|thumb|right|[[兵庫県]]のかまくら(積雪量が少なく小さいものが多い)]]
[[File:Kamakara-kan hall.jpg|250px|thumb|right|横手市かまくら館]]
'''かまくら'''とは[[秋田県]]、[[新潟県]]など[[日本]]の降雪地域に伝わる[[小正月]]の[[年中行事|伝統行事]]。雪で作った「家」([[雪洞]])の中に[[祭壇]]を設け、[[水神]]を祀る
雪で作った「家」([[雪洞]])の中に[[祭壇]]を設け、[[水神]]を祀る。
 
一般には、伝統行事で作られるものに限らず、雪洞自体が「かまくら」と呼ばれる。また、新潟県の[[中越地方|魚沼地方]]では、同様の雪洞や行事のことを「'''[[ほんやら洞]]'''」という。
新潟県の[[中越地方|魚沼地方]]では、同様の雪洞や行事のことを「'''[[ほんやら洞]]'''」という。
 
かまくらの[[語源]]は、形が[[竃]](かまど)に似ているから「竃蔵」であるとする説や、神の御座所「神座(かみくら)」が転じたものであるとする説などがある。
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横手のかまくらは、420年~450年の歴史がある、横手を代表するお祭り<ref name="yokote1">[http://www.yokotekamakura.com/01_event/04_winter/kamakura_setumei.html 横手市観光協会ウェブサイトによる]</ref>。かまくら建造自体は祭礼ではなくあくまでも行事であり、[[1988年]]の昭和天皇病気療養時にも「自粛」せずに開催されている。一方で、横手の「雪まつり」(小正月行事)は、約280年の歴史があるとされている<ref name="yokote1" />「ぼんでん」とは不可分の祭礼である。
 
現在のような行事になったのは[[明治]]30年以降のことで、左義長の行事と[[水神]]を祀る行事が合わさり、さらに[[子供]]の行事となったものである。[[昭和]]11年([[1936年]])にこの地を訪れたドイツ人建築家[[ブルーノ・タウト]]が『日本美の再発見』の中で、子供たちが雪洞の中に[[祭壇]]を設けて水神を祀り[[餅]]などを食べたり[[鳥追い]]の歌を歌ったりして遊んだりする、この素朴で幻想的な情景を「まるで夢の国」と絶賛したこともあり、ますます盛んになり[[観光客]]が増えたという。しかしその後の生活様式の変化の影響を受け、家々でのかまくら作りは激滅し、モデルかまくらを中心とした[[観光]]行事としての色合いが強くなった
[[昭和]]11年([[1936年]])にこの地を訪れたドイツ人建築家[[ブルーノ・タウト]]が『日本美の再発見』の中で、子供たちが雪洞の中に[[祭壇]]を設けて水神を祀り[[餅]]などを食べたり[[鳥追い]]の歌を歌ったりして遊んだりする、この素朴で幻想的な情景を「まるで夢の国」と絶賛したこともあり、ますます盛んになり[[観光客]]が増えたという。しかしその後の生活様式の変化の影響を受け、家々でのかまくら作りは激滅し、モデルかまくらを中心とした[[観光]]行事としての色合いが強くなった。
 
一方、伝統的なかまくらの復興を望む声もあり、羽黒のかまくら、ウェルカムかまくら、一戸一かまくら運動などが横手市の地域団体によって展開されている。<!--その中のウェルカムかまくらは、主にかまくら祭りの前夜祭として、地域の人たちには人気のイベントである。しかし、[[平成]]19年([[2007年]])の開催時は暖冬の影響で開催が危ぶまれたが、横手市近隣の山から雪を運搬してくる等といった対応をとり、無事開催された。だが、ウェルカムかまくらで使用するはずだった12基のかまくらが10基に減らされる等といった多少の被害はあった。-->横手市役所本庁舎隣には「横手市かまくら館<ref name="yokote2">[http://www.yokotekamakura.com/02_kanko/kamakurakan.html 横手市観光協会ウェブサイトによる]</ref>」があり、1Fにある、かまくら室(氷点下10℃以下の冷凍室)の中には本物のかまくら1基が常設展示されており、雪の入れ替え作業日と定休日以外は年中かまくら内に入る体験が可能である。防寒着として、かまくら室入口には「[[袢纏|どんぶく]]」([[丹前]])が用意されている。