「ニコラウス・コペルニクス」の版間の差分

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=== その他 ===
[[1965年]]10月29日より発行されていた1000[[ズウォティ]]紙幣に彼の肖像が使用されていた。この紙幣は[[1996年]]まで発行されていた。[[1945年]]にはコペルニクスはポーランドでもっとも有名な偉人生地一人であるトルり、ポーラ大学が設置されたが、大学名は彼の名を取りニコラウス・コペルニクス大学とされたにちなむ事物が多く存在する。コペルニクスの生家はトルンの旧市街に現在も残っており、コペルニクス博物館となっている<ref>http://www.poland.travel/ja/%E3%83%9F%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%82%B8%E3%82%A2%E3%83%A0%EF%BC%86%E3%82%AE%E3%83%A3%E3%83%A9%E3%83%AA%E3%83%BC/%E3%82%B3%E3%83%9A%E3%83%AB%E3%83%8B%E3%82%AF%E3%82%B9%E5%8D%9A%E7%89%A9%E9%A4%A8 「コペルニクス博物館」ポーランド政府観光局 2016年9月13日閲覧</ref>。また、彼が観測を続けたフロムボルク城内のコペルニクスの塔にも[[1948年]]に同じくコペルニクス博物館が開設されている<ref>http://frombork.art.pl/pl/ Muzeum Mikołaja Kopernika we Fromborku(フロムボルク・ミコワイ・コペルニク博物館)(ポーランド語) 2016年9月13日閲覧</ref>。上記の2つはコペルニクスが実際に暮らした場所であるが、それ以外にもコペルニクスの名がつけられたものは数多い。ポーランドにおいて[[1965年]]10月29日より発行されていた1000[[ズウォティ]]紙幣に彼の肖像が使用されていた。この紙幣は[[1996年]]まで発行されていた。[[1945年]]にはコペルニクスの生地であるトルンに大学が設置されたが、大学名は彼の名を取りニコラウス・コペルニクス大学とされた。[[2005年]]に[[ワルシャワ]]に建てられたポーランド最大の[[科学館]]は、[[コペルニクス科学センター]]と名付けられている。[[1972年]]にはコペルニクス生誕500周年を祝うため、[[ヘンリク・グレツキ]]により[[交響曲第2番 (グレツキ)|交響曲第2番『コペルニクス党』]]が作曲された
 
天文学関係においても彼にちなんで名づけられたものは多い。[[嵐の大洋]]の東部にある[[月]]面において最も目立つ[[クレーター]]に[[コペルニクス (クレーター)|コペルニクス]]の名が与えられている。また、[[1972年]]に打ち上げられ[[1981年]]2月まで運用された[[OAO (人工衛星)|OAO]]3号にもコペルニクスの名が与えられていた。
 
== 脚注 ==