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==== 肥後国八代城主へ ====
[[寛永]]9年(1632年)肥後国52万石の[[加藤
松井氏は[[宮本武蔵]]と親交があったことで知られる。松井家には、武蔵が細川家に仕官する直前に興長に宛てた書状(長岡佐渡守宛書状)が残っており、また武蔵が熊本藩の客将となった後も寄之が武蔵を後援し、自身もその兵法の弟子となっている。寄之はやがて病床に臥すようになった武蔵の身の世話をしていたことも、寄之と武蔵の養子[[宮本伊織]]との間に交わされた多くの書状から明らかになっている。こうして武蔵の手による水墨画や工芸品などの文物の多くが松井家に伝えられた。
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