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{{基礎情報 中国君主
|名 =烈祖 楊渥
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|注釈 =
}}
'''楊渥'''(よう あく)は[[五代十国時代|十国]][[呉 (十国)|呉]]の第2代王。太祖[[楊行密]]の長男。呉の君主の一人と認められているが、その在位中には呉王と名乗っていなかった。
 
== 生涯 ==
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楊渥は遊興にふけり、左衙指揮使[[張顥]]と右衙指揮使[[徐温]]の諫言を聞かず、父の代からの旧臣を威圧したため、天祐4年([[907年]]、既に[[唐]]は滅びていたが、呉は[[後梁]]を認めていなかったため、唐の年号を使い続けていた)、張顥と徐温はクーデターを起こし、権力を奪取した。翌年に両者に殺害された。
 
死後、威王と[[]]されたが、弟の[[楊隆演]]が呉王になると改めて景王と諡された。[[廟号]]は烈祖(『[[新五代史]]』では烈宗とする)。[[楊溥 (十国呉)|楊溥]]の代に景帝の諡号で追尊された。
 
{{先代次代|[[呉 (十国)|十国呉]]の第2代[[中国帝王一覧|王]]|905年 - 908年|[[楊行密|太祖]]|[[楊隆演|高祖]]}}
 
{{DEFAULTSORT:よう あく}}
[[Category:十国の君主|あく]]
[[Category:呉 (十国)|あく]]
[[Category:唐代の人物]]
[[Category:中国の追尊君主]]