「オノーレ・ミラボー」の版間の差分
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澤村拓一 タグ: ビジュアルエディター モバイル編集 モバイルウェブ編集 |
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[[ブルジョワジー|ブルジョワ]]的立場から初期の革命を主導し(イギリス型)[[立憲君主制]]を主張したが、同じ開明貴族の[[ラファイエット]]や三頭派ら政敵の妨害によって、念願であった大臣就任はいつも阻まれた。雄弁と、その開放的な庶民性から国民に絶大な人気があったものの、絶頂期に突如として病死し、死後に[[ルイ16世 (フランス王)|ルイ16世]]と交わした書簡と多額の賄賂の存在が暴露されて、名声は地に落ちることになった。
一方で、ミラボーという強力な王制護持論者の死によって、王室は[[憲法制定国民議会|立憲議会]]との太いパイプを失った。革命の進展に対する不安に駆り立てられたルイ16世と王妃[[マリー・アントワネット]]は、王妃の実家であり敵国でもある[[ハプスブルク君主国|オーストリア]]に助力を求め、[[ヴァレンヌ事件|国王一家亡命未遂事件]]を起こすが、この事件は国王と王室に対する民衆の信頼を失墜させ、革命のさらなる急進化を誘い、その後の[[8月10日事件]]、ひいてはルイ16世、マリー・アントワネットのギロチンによる処刑、ブルボン王政の終焉に繋がった。<!--現在概略のみ-->
== 脚注 ==
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