「忠臣蔵」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
27行目:
<!-- [[太平洋戦争]]は[[ポツダム宣言]]受諾により終結した。あえてここで書く必要なし -->[[第二次世界大戦]]後の[[連合国 (第二次世界大戦)|連合国]]占領下では、厳しい言論・思想統制が行われた。[[連合国軍最高司令官総司令部]]は日本国内での報復運動の高まりを恐れ、「忠臣蔵」を題材とした作品は[[封建制]]の道徳観が民主化の妨げになるとし([[仇討ち]]という復讐の物語なので)、当事件を題材とした作品の公演、出版等を一時期禁止したが、<!--[[ダグラス・マッカーサー|マッカーサー]]の副官で知日家の[[フォービアン・バワーズ]]らの努力により逐次解禁され、-->[[昭和]]22年([[1947年]])にはその禁も解かれ、歌舞伎の『仮名手本忠臣蔵』が[[東京劇場]]で上演されている。
[[ファイル:Ako Gishisai De09 13.jpg|thumb|right|200px|[[赤穂義士祭]]の義士行列]]
本所の吉良邸襲撃の日は[[12月14日 (旧暦)|旧暦12月14日]](正確には翌日未明)であったが、現在に至るも[[12月14日|新暦12月14日]]が近づくと忠臣蔵のテレビドラマや映画が放映されるなど、その人気は衰えを見せない。多くの[[映画]]製作、[[テレビドラマ]]化、舞台上演がほぼ毎年行われている。現在では、多くの資料研究の進展を反映させた書籍の出版や実名での作品化がなされるようになり、価値観の多様化と研究考証から、討ち入りに参加しなかった、出来なかった赤穂の忠、討ち入り後に残された一辺倒ではない遺族や子孫適役とされる吉良側、当時視点をはじめとした江戸幕府の事情など、様々な角度からの視点に立って作品化がなされている。
 
== 作品一覧 ==