「尾高惇忠 (作曲家)」の版間の差分

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'''尾高 惇忠'''(おたか<ref>『人事興信録』上巻第45版(興信データ株式会社、2009年)や『日本紳士録』第80版(交詢社出版局、2007年)のように姓の読みを「おだか」とする資料もある。</ref> あつただ、[[1944年]][[3月10日]] - )は、[[日本]]の[[現代音楽]]作曲家。[[2011年]][[3月31日]]に退任するまで[[東京芸術大学]]音楽学部作曲科教授を務めた。現在、[[東京芸術大学]]名誉教授、[[桐朋学園大学]]特任教授。
 
[[東京都]][[千代田区]]生まれ。父は作曲家・指揮者の[[尾高尚忠]]、母はピアニストの[[尾高節子]]。弟に指揮者の[[尾高忠明]]がいる。妻は声楽家の[[尾高綾子]]。チェリストの[[倉田澄子 (チェロ奏者)|倉田澄子]]は母方の従姉、女優・演出家の[[長岡輝子]]は母方の伯母に当たる。法哲学者の[[尾高朝雄]]、社会学者の[[尾高邦雄]](ともに伯父)など父方の親族からは学者を多く輩出しており、また同名の曾祖父[[尾高惇忠 (実業家)|尾高惇忠]]は[[明治]]期の実業家として知られる。その従弟で妹婿の実業家[[渋沢栄一]]もまた曾祖父であり、渋沢家を通じて作曲家[[諸井三郎]]・[[諸井誠|誠]]親子とも遠縁にあたる。母方の親族では、チェリストの[[倉田澄子 (チェロ奏者)|倉田澄子]]が従姉、女優・演出家の[[長岡輝子]]が伯母に当たる。
 
[[東京芸術大学]]音楽学部作曲科にて、作曲を[[矢代秋雄]]、[[池内友次郎]]、[[三善晃]]、ピアノを[[安川加壽子]]に師事する。[[1966年]]3月同校を卒業後、9月にフランス政府給費留学生として[[パリ国立高等音楽・舞踊学校|パリ国立高等音楽院]]へ入学し、[[モーリス・デュリュフレ]]、[[マルセル・ビッチュ]]、[[アンリ・デュティユー]]に師事し、[[1970年]]に同校を卒業する。