「何顒」の版間の差分
削除された内容 追加された内容
編集の要約なし |
編集の要約なし |
||
1行目:
{{記事名の制約|title=何
'''何
若くして[[洛陽]]に遊学し、若年にも拘らず時の名士である[[郭泰]]・賈彪と誼を通じて、[[大学 (曖昧さ回避)|太学]]に名を顕した。友人の虞偉高が父の仇に報いずして病に倒れた時、何
[[陳蕃]]・[[李膺 (後漢)|李膺]]が[[宦官]]との争いに敗れて誅殺されると、何
当時、党錮の難を避けて洛陽から逃れる者が多かったが、何
党錮が解かれると[[司空]]府に招聘された。[[三公]]の会議が開かれるごとに何
[[董卓]]が政権を握ると、強迫によってその長史に任じられたが、病に託けて就かなかった。<ref>『後漢書』「荀爽伝」・「鄭泰伝」・「董卓伝」では『長史何
何
==脚注==
17行目:
== 参考出典 ==
*『[[後漢書]]』党錮列伝第五十七 何
*同書竇何列伝第五十九 何進伝
*同書鄭孔荀列伝第六十 荀彧伝
|