「久邇宮朝彦親王」の版間の差分

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=== 明治 ===
明治3年([[1870年]])閏10月、政府から京都に戻る許可を得る。明治5年1月、謹慎を解かれて、伏見宮家の一員に復帰する。同年7月、東京移住を命令されるものの、京都で暮らし続ける。維新前後の経緯から[[明治維新#中央政府|明治新政府]]の中枢には入らなかった。こうしたことが、後に[[久邇宮邦彦王]]や[[東久邇宮稔彦王]]ら子息たちの感情や行動に複雑な影響を与えたとの指摘もある。
 
明治8年([[1875年]])4月、一代宮家となる。同年5月、新たに[[久邇宮]]家を創設する。明治16年7月11日、「二品勲一等朝彦親王、特旨ヲ以テ二代皇族ニ被列候事」<ref>『官報』第20号、「賞勲敍任」1883年7月24日。p.3</ref>とある。明治20年、世襲の皇族になったのにともない、次男邦憲王が病弱のため、三男邦彦王を継嗣と定める。