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'''メキシコ軍'''(メキシコぐん、{{lang-es|Fuerzas Armadas de México}})は、[[メキシコ]]の[[軍隊]]。陸軍常備軍 223,000名、海軍艦艇 88隻、空軍作戦機107機を擁する。一般的に[[連邦]](州政府)制度を取り、世界で[[アメリカ合衆国]]に次ぐ人口を持つ合衆国としての[[メキシコ合衆国]](州の連邦制国家)であり、州ごとに強い権限を持っているが、元メキシコ領であった[[テキサス州]]や[[ロスアンゼルス]]及び[[サンティアゴ]]に対する領土的野心を司令官以上の人物が発言した事があり、[[トルコ軍]]や[[タイ軍]]と共に世界でも、政治性が強い軍隊である。「米墨戦争以前の国境」を回復すべきと主張する国政[[政党]]も存在する。特に[[テキサス州]](現アメリカ領)に対しては、頻繁に政治集会を開く派閥も存在する。これは[[1821年]]に、[[スペイン]]から[[メキシコ]]([[メキシコ帝国]])が独立した際、旧[[スペイン]]([[ヌエバ・エスパーニャ]])が完全に領土としていた[[テキサス]]地域は、同じ[[スペイン語]]圏に属していた為に[[メキシコ帝国]]領となることを、当時の[[アメリカ合衆国]]は国際的に承認している。だがその後、[[アメリカ]]([[ゲルマン諸語]]系[[アングロ・サクソン]]系[[開拓]]植民者)側の[[西部開拓]]([[西部劇]]を参照)が進展すると、当時は外国扱い(メキシコ領テキサス州)であった[[テキサス]]のメキシコ国籍者と、旧国境であった[[ミシシッピ川]]を超えて開拓してきた[[英語圏]]の新住民間で、文化的な違いから来る抗争が頻発するようになり、[[英語圏]]住民による州内地区での[[自治]]体制を請願する動きが強まった。その際に[[メキシコ]]政府は、こうした動きは自国内での反乱行為であると判断し、メキシコ陸軍を出動させて軍事的に抑えようとした。[[1835年]]には、[[サンアントニオ]]に陸軍兵を派遣したが、[[テキサス共和国]]([[テキサス州]]英語圏住民が独立宣言して約10年間存在した国家)の義勇軍は、これを敗北させる事に成功し、映画などでも有名な「[[アラモの砦]]」を奪って[[テキサス共和国]]側の拠点としました。これをみて危機を悟ったメキシコ・シティ政府は、形勢を挽回すべく、メキシコ軍の精鋭部隊「4000人」の救援の為の大軍を編成し、再度[[テキサス共和国]]内で大規模な戦闘となり、ここにテキサス義勇軍([[アングロ・サクソン]]系[[ゲルマン諸語]][[テキサス共和国]])住民を攻撃した。この、[[アラモの砦]]攻防戦の史実は、同じ[[英語圏]]に属する連邦国家である[[アメリカ合衆国]]内で[[イエローペーパー]]と呼ばれる虚構を交えた庶民向け新聞によって先導され、アメリカ国民は「親[[テキサス共和国]]の世論」が大きくなり、特に[[アラモ砦の戦い]]を、[[メキシコ]]独立時には「メキシコ領テキサス([[スペイン語圏]]を意味する)」を国家承認した事実を都合よく否定する事にも繋がり、数年で[[テキサス共和国]]側を英雄視する動きが強まった。この中で「リメンバー・アラモ(アラモの悲劇を忘れるな)」が[[東海岸]]大都市における庶民の合言葉となり、メキシコ軍を悪者に仕立て上げることに成功したアメリカ側は世論を戦争反対から賛成へと変えることに成功した。そして、これに対して[[ヌエバ・エスパーニャ]]([[ロサンゼルス]]から[[シアトル]]までを含んだスペイン領北米大陸地域)に対して、英[[自治]]領[[カナダ]]及び[[アメリカ合衆国]]の領土を太平洋岸(西部開拓の終了)まで到達させ、さらに[[ハワイ王国]]なども視野に入れて武力を用いて領土拡張しようという政治家の思惑とも一致していた。その為、「テキサス住民(旧[[スペイン語]]圏の住民は含めず)の民主的な要請により併合を受諾する」とした[[アメリカ合衆国]]は[[テキサス併合]]を実行し、事実上「[[メキシコ]]独立時に国際的昇任を得たテキサス地域の領土侵略」だと判断した[[メキシコ軍]]は、総力を結集して[[アメリカ合衆国]]との対決に備えた。この事件がきっかけとなり[[米墨戦争]]に引きずり込まれた両国軍は、最終的に[[メキシコ軍]]の敗北によって決着し、メキシコは講和条約である[[グアダルーペ・イダルゴ条約]]により、[[1848年]]時点で[[メキシコ割譲]]として、今日の[[アメリカ合衆国]][[ハリウッド]]産業を含む[[カリフォルニア州]]や[[ニューメキシコ州]]及び[[アリゾナ州]]や[[ネバダ州]]などを失った。[[テキサス州]]も事実上、この戦争の帰結によって[[英語圏]][[アメリカ合衆国]]の領土として固定化されたが、現在でも一部の[[テキサス共和国]]にアイデンティティを持つ家系の人物は「[[テキサス共和国]]の[[国旗]]」を庭先に掲揚するなどしており、この地域の言語的なアイデンティティは、米墨戦争以前まで300年以上にわたって[[スペイン語圏]]に属していたメキシコ領[[カリフォルニア州]]の北半分を喪失し、戦後の[[1850年代]]([[江戸時代]][[幕末]]期)には南半分である[[バハ・カリフォルニア州]]([[バハ・カリフォルニア半島]])を残すのみとなった。さらに、この戦争によって現在の[[カナダ]]領内まで達していた旧[[ヌエバ・エスパーニャ]]領土は半分以下まで減少し、その後の[[メキシコ第二帝政]]によって[[ナポレオン]]の後ろ盾を得たメキシコ国民は再度、[[英語圏]]の住民から[[ロサンゼルス]]や[[テキサス州]]奪還を目指すようになるきっかけとなった事件となった。その後[[メキシコ割譲地]]に建設された[[ラスベガス]]や[[ハリウッド]]など各業界における華やかな[[20世紀]]終盤まで続いた発展を、[[メキシコ合衆国]]国民は苦々しい想いで見つめるようになったとされる。([[米墨戦争]]直後に[[メキシコ合衆国]]領から[[アメリカ合衆国]]領[[カリフォルニア州]]となり、この敗戦により奪われた[[ロサンゼルス]]及び[[サンフランシスコ]]大都市が、僅か数年後に金鉱山の発見で[[ゴールド・ラッシュ]]に沸いた事もメキシコ国民の反英語圏感情の源となり、メキシコ軍は[[19世紀]]末まで北部[[カリフォルニア]]奪還を合言葉としていた時期がある)
'''メキシコ軍'''(メキシコぐん、{{lang-es|Fuerzas Armadas de México}})は、[[メキシコ]]の[[軍隊]]。陸軍常備軍 223,000名、海軍艦艇 88隻、空軍作戦機107機を擁する。
 
メキシコにおいては全軍種を統括する国防大臣は存在しない。したがって、国軍最高司令官(元帥)である[[メキシコの大統領|大統領]]の下で陸海軍は完全に独立した組織となっており、その最高位の軍人(陸軍大将および海軍大将)が陸および海軍大臣として入閣している。なお、空軍は陸軍に従属するものとされている。また、メキシコ陸軍は、[[国防省 (メキシコ)|国防省]]<ref>中米スペイン語圏ではSecretaríaは、日本語の省に相当しており、''官房''ではなく''省''と訳される。空軍の独立と共に陸軍省から改組された</ref>([[:es:Secretaría de la Defensa Nacional (México)|Secretaría de la Defensa Nacional: SEDENA]])が所管しているため、慣習的に、陸軍大臣が国防大臣と呼ばれている。メキシコ海軍は[[海軍省 (メキシコ)|海軍省]]([[:es:Secretaría de Marina (México)|Secretaría de Marina: SEMAR]])が所管し、海軍大臣が置かれている。