「鈴木牧之」の版間の差分

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19歳の時、縮80反を売却するため初めて江戸に上り、江戸の人々が越後の雪の多さを知らないことに驚き、雪を主題とした随筆で地元を紹介しようと決意。帰郷し執筆した作品を[[寛政]]10年([[1798年]])、[[戯作者]][[山東京伝]]に添削を依頼し、出版しようと試みたが果たせず、その後も[[曲亭馬琴]]や[[岡田玉山]]、[[鈴木芙蓉]]らを頼って出版を依頼するが、なかなか実現できなかった。
 
しかしようやく、山東京伝の弟[[山東京山]]の協力を得て、[[天保]]8年([[1837年]])『[[北越雪譜]]』初版3巻を刊行、続いて天保13年([[1842年]])にも4巻を刊行した。同書は雪の結晶、雪国独特の習俗・行事・遊び・伝承や、大雪災害の記事、雪国ならではの苦悩など、地方発信の科学・民俗学上の貴重な資料となった。著作は他に[[十返舎一九]]の勧めで書いた『[[秋山記行]]』や、『夜職草(よなべぐさ)』などがある。また画も巧みで、馬琴『[[南総里見八犬伝]]』の挿絵の一部に採用元を依頼されたり、牧之の山水画に[[良寛]]が賛を添えられたりしている。
 
文筆業だけでなく、家業の縮の商いにも精を出し、一代で家産を3倍にしたという商売上手でもあった。また貧民の救済も行い、小千谷の[[陣屋]]から褒賞を受けている。