「中山平次郎」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
タグ: モバイル編集 モバイルウェブ編集
36行目:
中山は[[1871年]](明治4年)京都上京で、父徳輝と母まさの次男として誕生した。兄には、[[帝国陸軍]][[軍医|軍医監]]を務めた後に中山とともに[[九州帝国大学]]で教鞭をとった[[中山森彦]]がおり、ロシア文学者の[[秋葉俊彦]]をはじめ4人の弟と1人の妹がいた <ref name="a"/>。
 
[[1874年]](明治7年)に京都を離れた中山家は東京・[[神田小川町]]を経て[[猿楽町 (千代田区)|神田猿楽町]]に転居<ref name="a"/>、ここで中山は少年時代を過ごす。[[旧制中学|旧制中学生]]の頃にはすでに考古学に興味を示しており、自身が収集した土器片を[[東京大学|東京帝国大学]]人類学教室の[[坪井正五郎]]に見せたところ、それは当時坪井らによって新発見され話題となっていた[[弥生式土器]]と同じ物であったという <ref name="c">[[菊池誠一 (考古学者)|菊池誠一]] 「考古学者 原田大六論(ニ) 中山平次郎との邂逅」 (『学苑』第767号、昭和女子大学近代文化研究所、2004年)pp66-77</ref>。
 
=== 医学者として ===