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翻訳はある言語圏から別の言語圏へと知識を移転することを意味する。このため、かつては先進文化圏からの翻訳によって別の文化圏へと重要な知識が伝達され、移転先の文化レベルを上昇させることが多くあった。この例としては、[[古代ギリシア]]の文献が挙げられる。古代ギリシアで花開いた文化は[[ローマ帝国]]へと継承されたものの、ローマ帝国が崩壊しヨーロッパが中世に入るころには多くが失われてしまっていた。しかしその文献はローマの継承国家である[[東ローマ帝国]]において保持され、[[ギリシア語]]または[[シリア語]]の文献として残っていた。これらの文献のうちいくらかのものは[[830年]]に[[アッバース朝]]の第7代[[カリフ]]である[[マームーン]]が[[バグダード]]に設立した[[知恵の館]]において[[アラビア語]]に翻訳された。この大翻訳と呼ばれる翻訳事業によって、[[医学]]の[[ヒポクラテス]]や[[ガレノス]]、[[哲学]]の[[アリストテレス]]や[[プラトン]]の知識が[[イスラム]]世界にもたらされ、[[イスラム科学]]の隆盛をもたらした。さらにこれらのアラビア語文献は、[[12世紀]]に入ると[[シチリア王国]]の首都[[パレルモ]]や[[カスティーリャ王国]]の[[トレド]]といった、イスラム文化圏と接する[[キリスト教]]都市において[[ラテン語]]へと翻訳されるようになる。これは古いギリシア科学だけでなく、[[フワーリズミー]]や[[イブン・スィーナー]]といったイスラムの大学者の文献も含まれており、またアラビア語だけでなく東ローマなどから入手したギリシア語の文献の直接翻訳も行われた。大翻訳時代とも呼ばれるこの翻訳活動を通じて、一度は失われていた古代世界の知識が[[西ヨーロッパ]]に再び流入し、[[12世紀ルネサンス]]、さらには[[ルネサンス]]を引き起こすきっかけとなった。
 
また、こうした翻訳が重要な役割を果たした国として[[日本]]が挙げられる。日本は古代以降、隣接する大国である[[中国]]の文献を翻訳して摂取し文明レベルを向上させてきたが、[[1774年]]の[[解体新書]]の翻訳出版を一つのきっかけとして、18世紀後半以降、盛んにヨーロッパの科学文献が翻訳されるようになった。この動きは[[江戸幕府]]が崩壊し[[明治維新]]が起きるとより加速され、膨大な翻訳が行われるようになった。この翻訳においてはさまざまな訳語が[[漢語]]の形で考案され、いわゆる[[和製漢語]]として盛んに流通するようになった。この新漢語は新しい概念を表すのに好都合であったため、一部は中国に逆輸入されて使用されるようになった。
 
== 重訳 ==