「チューインガム」の版間の差分

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== 歴史 ==
 
中央[[アメリカ]]に住んでいた[[アステカ]]族や[[マヤ]]族のような[[先住民族]]はサポジラや[[エゾマツ]]の樹液のかたまりを噛む習慣を持っていた。両文明が滅びた後もこの習慣は[[メキシコ]]インディオに受け継がれ、さらにスペイン系移民にも広まったとされるが、これより以前にヨーロッパでも弾力性のある物質を噛む風習があったという説もある。
 
最初のガムは味がなく、[[パラフィン]]でできていた。[[1848年]]、[[アメリカ合衆国]]でジョン・カーティスが「[[メイン州]]純正スプールガム」というパラフィンガムを発売した。
 
[[1860年]]頃、メキシコの[[アントニオ・ロペス・デ・サンタ・アナ|サンタ・アナ]]将軍が当初別の目的でチクルを利用しようとしたが、これはうまくいかなかった。しかし、チクルには噛むと歯が白くなるという効能があることを発見したため、チクルをあめ玉状にして売り出した<ref name="CGAJ">{{cite web| url = http://www.chewing-gum.org/rekisi/index.html | title = チューインガムの歴史 | publisher = 日本チューインガム協会 |accessdate=2007年12月1日 }}</ref>。このころはまだ味はついていなかった。将軍の支援者であったアメリカ人の[[トーマス・アダムス (発明家)|トーマス・アダムス]]がチクルに甘味料を加え、「アダムス・ニューヨーク」というチクルガムを発売、人気を得て一気に普及した。
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日本には[[1916年]](大正5年)に初めて輸入され、[[1928年]](昭和3年)から日本国内でも生産されるようになった<ref name="CGAJ"/>。日本では、[[平安時代]]、[[6月1日]]に[[餅]]などの固いものを食べ、健康と長寿を祈る「[[歯固め]]」の風習があったことから、日本チューインガム協会は[[1994年]]、同日を'''ガムの日・チューインガムの日'''と設定した。
 
[[2016年]]現在、日本チューイングガム協会によると日本では[[2004年]]がガムの生産・小売量のピークである。当時の生産量46000トンから2015年には約半分に減っている。街中のゴミ箱減少や[[タブレット菓子]]などの代替品により、若者のガム離れが進んでいるものと分析される。
 
== 効能 ==