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[[ルツェルン]]に生まれ、生地の音楽院で学ぶ。[[1956年]]、18歳の時に同地の歌劇場で[[ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト|モーツァルト]]の『[[魔笛]]』の童児としてデビュー。1957年、同歌劇場で『[[フィガロの結婚]]』のケルビーノを歌って大成功を収める。1959年、ケルン歌劇場で『[[ファルスタッフ]]』のナンネッタで成功し、この歌劇場のメンバーになったが、1960年からハンブルク歌劇場に移った。
 
国際的に有名になったのは1960年以後で、[[ザルツブルク音楽祭]]の他に世界各国で歌い、[[1963年]]には[[ベルリン・ドイツ・オペラ]]とともに来日し。ケルビーノで絶賛を浴びた。この世代のドイツ圏のソプラノとしてはトップクラスの美貌、それもどちらかといえば愛嬌のあるルクスも大きな魅力で、初来日時の人気ぶりは今なお語り草になっている。<ref>評論家宇野功芳は著書『モーツァルト 奇跡の音楽を聴く』(ブックマン社)の中で「ただでさえかわいいのに、ケルビーノをやったら目茶苦茶かわいくて、観客が皆ファンになっちゃった。僕もマティスのファンになって(中略、ドイツ等の歌劇場での公演を)追っかけてた時期もあったんだよ」と語っている。</ref>。
 
その清澄な声による新鮮な歌い方でモーツァルトの歌劇オペラや宗教曲を得意としており、[[カール・ベーム]]や[[ヘルベルト・フォン・カラヤン]]らの巨匠とも数多く共演している。
 
後年には『フィガロの結婚』の伯爵夫人、『[[ばらの騎士]]』の元帥夫人などの気品ある大人の女性役もレパートリーとしている。
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{{DEFAULTSORT:まていす えていと}}
[[Category:ソプラノ歌手]]
[[Category:スイスの歌手声楽家]]
[[Category:ルツェルン出身の人物]]
[[Category:1938年生]]
[[Category:存命人物]]