「ラリサ・ネーランド」の版間の差分

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[[1989年]]、ネーランドはズベレワとのコンビで[[1989年全仏オープン|全仏オープン]]と[[1989年ウィンブルドン選手権|ウィンブルドン]]の女子ダブルス決勝に進出した。全仏女子ダブルス決勝で、ネーランドとズベレワはグラフ&サバティーニ組に 6-4, 6-4 で快勝し、初めての[[グランドスラム (テニス)|4大大会]]タイトルをここで獲得する。ウィンブルドン女子ダブルス決勝では、2人は[[チェコスロバキア]]ペアの[[ヘレナ・スコバ]]&[[ヤナ・ノボトナ]]組に 1-6, 2-6 で完敗し、2年連続準優勝で止まった。同年暮れの1989年12月21日、ラリサ・サブチェンコはアレックス・ネーランドと結婚した。
 
[[1991年]]、ネーランドとズベレワはついに[[1991年ウィンブルドン選手権|ウィンブルドン]]女子ダブルスで初優勝を果たす。2人は[[ジジ・フェルナンデス]]&[[ヤナ・ノボトナ]]組を 6-4, 3-6, 6-4 で破り、3度目の挑戦でウィンブルドン初優勝を決めた。これは[[ソビエト連邦|ソ連]]国籍のテニス選手が獲得した最初のウィンブルドン・タイトルである。この年の暮れに[[ソ連崩壊]]が起こり、ネーランドは[[ラトビア]]国籍になり、ズベレワは[[ベラルーシ]]国籍になる。それまでソ連のチームメートだった2人は、これを契機にダブルスペアの解消を余儀なくされた。[[1992年]]以後、ネーランドは[[ヤナ・ノボトナ]]と、ズベレワは[[ジジ・フェルナンデス]]とペアを組むことが多くなる。ネーランドは[[1992年ウィンブルドン選手権|1992年ウィンブルドン]]で混合ダブルス初優勝を果たし、[[チェコ]]の[[シリル・スーク]]([[ヘレナ・スコバ]]の弟)とペアを組んだ。スークとネーランドは、[[オランダ]]ペアの[[ヤッコ・エルティン]]&[[ミリアム・オレマンス]]組を 7-6, 6-2 のストレートで破って優勝した。ネーランドはその後、混合ダブルスで3つのタイトルを加えたが、[[1994年全豪オープン|1994年全豪オープン]]は[[アンドレイ・オルホフスキー]]([[ロシア]])、[[1995年全仏オープン|1995年全仏オープン]]と[[1996年全豪オープン|1996年全豪オープン]]は[[マーク・ウッドフォード]]([[オーストラリア]])と組んだ。
 
シングルスでのネーランドは、[[1994年]]の[[1994年ウィンブルドン選手権|ウィンブルドン]]でベスト8の自己最高成績を出した。この大会では、ネーランドは3回戦で第6シードの[[クルム伊達公子|伊達公子]]を 6-3, 6-2 で破り、4回戦で[[アマンダ・クッツァー]]を破った後、[[ロリ・マクニール]]([[アメリカ合衆国|アメリカ]])に 3-6, 4-6 で敗れた。ネーランドの4大大会シングルスは、[[1988年全米オープン (テニス)|1988年全米オープン]]と1994年ウィンブルドンで2度のベスト8が最高成績になる。
 
ラリサ・サブチェンコ・ネーランドは[[1999年]]、33歳にして最後の[[1999年全仏オープン|1999年全仏オープン]]混合ダブルス決勝に勝ち進み、[[リック・リーチ]]([[アメリカ合衆国|アメリカ]])とペアを組んだ。2人は決勝で[[ピート・ノーバル]]([[南アフリカ共和国|南アフリカ]])&[[カタリナ・スレボトニク]]([[スロベニア]])組に 3-6, 6-3, 3-6 で敗れて準優勝になる。同年暮れの女子ツアー年間最終戦「[[WTAツアー選手権|チェイス選手権]]」で、ネーランドは[[アランチャ・サンチェス・ビカリオ]]とペアを組んで決勝に進出し、[[マルチナ・ヒンギス]]&[[アンナ・クルニコワ]]組に 4-6, 4-6 で敗れた。それでも、33歳のネーランドは[[1999年]]度のダブルス・ランキングを「3位」で終えている。彼女の現役最後の試合は、[[2000年ウィンブルドン選手権|2000年ウィンブルドン]]の女子ダブルス1回戦であった。若手の[[リナ・クラスノルツカヤ]]([[ロシア]])とペアを組んだネーランドは、1回戦で[[杉山愛]]&[[ジュリー・アラール=デキュジス]]組に 4-6, 3-6 で完敗し、杉山とアラール・デキュジスが「17年間」に及んだネーランドの現役最後の相手になった。
 
現役引退後の[[2003年]]、ラリサ・サブチェンコ・ネーランドは[[国際テニス連盟]]と[[国際テニス殿堂]]から「フェドカップ優秀選手賞」(Fed Cup Award of Excellence)を授与された。