「カンナエの戦い」の版間の差分

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== 戦後と影響 ==
この大敗北の後、ローマはハンニバルとの正面決戦を避け、持久戦に持ち込むことにした。[[ファビウス・マクシムス]]、[[マルクス・クラウディウス・マルケッルス]]の両名を執政官とし、攻撃対象をシチリア、ヒスパニアなどのカルタゴ周辺へと変更し、外からの切り崩しを狙った。さらに、優勢な海軍力を生かしてカルタゴ海軍を脅かし、カルタゴ本国からのハンニバルへの補給を断った。そして、戦力の再編とともに、カンナエの敗戦の原因といえる[[騎兵]]の育成に努め、これが後の[[ザマの戦い]]の勝利に結びつくことになった。もっとも、騎兵の調達は相変わらず困難であることに変わりなく、同盟国の騎馬や[[ヌミディア]]騎兵に頼ることが多かった。
 
一方のハンニバルは、この勝利によってローマ同盟都市が離反することを期待したが、同盟都市の結束は依然として固く、十分な成果は上がらなかった。敵地での補給に苦しむハンニバルは、ローマを攻めずに肥沃でカルタゴ本国とも連絡をつけやすいイタリア南部([[マグナ・グラエキア]])へ主攻を切り替えた。