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== 気象学の歴史 ==
[[ファイル:Storm Glass General View.jpg|thumb|right|150px|19世紀にヨーロッパで天気の予測に用いられた[[ストームグラス]]]]
[[気象]]は生活との関わりが深い現象であり、気象の研究は[[古代]]文明より行われてきた。よく知られているものとして、古代インドにある書籍や[[古代ギリシャ]]の[[アリストテレス]](紀元前384年 – 同322年)の著書『''Meteorologica''』があり、この中で気象や[[彗星]]・[[流星]]などを研究する学問を''Meteorologica''としており、[[四大元素]]説に基づいて天候の仕組みを論じている。一方、古代中国においても『[[淮南子]]』において[[陰陽説]]に基づく[[雷]]の原理が論じられている。しかし、この頃の気象の予測の根拠は経験則などを基にした[[観天望気]]であり、科学的な観測はまだほとんど行われなかった。
 
科学的な観測が始まったのは近代科学が発達し始めた近世ヨーロッパである。17世紀には[[エヴァンジェリスタ・トリチェリ|トリチェリ]]が制作した[[気圧計]]によって[[気圧]]変化と天候の変化の関連性が発見され、[[ガリレオ・ガリレイ]]が発明したとされる[[温度計]]もこの頃改良され実用化した。このような測定器の発明によって科学的な[[気象観測]]が始まり、近代気象学も発達し始める。[[エドモンド・ハレー|ハレー]]は1686年、航海記録から風の地図を作成して[[貿易風]]と[[季節風]]にあたる風を発見した。{{仮リンク|ジョージ・ハドレー|en|George Hadley}}は1735年に、貿易風は[[熱帯]]が太陽の熱を多く受けることと[[地球]]の[[自転]]の力によって生じるとの説を発表し、これが後の[[ハドレー循環]]の発見につながる。
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19世紀には科学的な[[天気予報]]が成立する。1820年に{{仮リンク|ハインリッヒ・ウィルヘルム・ブランデス|en|Heinrich Wilhelm Brandes}}が初めて[[天気図]]を作り[[気圧配置]]と天気の関係を明らかにした。1837年に実用化された[[電信]]によって、気象観測データを瞬時に集めることが技術的に可能になる<ref>Library of Congress. [http://memory.loc.gov/ammem/sfbmhtml/sfbmtelessay.html The Invention of the Telegraph.] Retrieved on 2009-01-01.</ref>。ただこれはなかなか実現せず、1845年に初めて[[ジョセフ・ヘンリー]]の主導で[[スミソニアン協会]]が運営するアメリカの気象観測網ができた。1854年にはイギリス商務省の中に[[ロバート・フィッツロイ]]を長とする海の気象観測を担当する組織が発足し、同年に[[イギリス気象庁]]として分立される(世界初の国家気象機関)。1860年には、[[タイムズ]]紙面上に毎日の天気予報が掲載され、[[暴風]]が予想されるときは港に警報を出して出港を制限するようになった。1863年には、[[ユルバン・ルヴェリエ|ルヴェリエ]]が[[パリ天文台]]においてヨーロッパの毎日の天気図の発行を始め、彼の進言によって天気図を用いた天気予報(現在で言う総観スケールの予報)が検討され始める。その後[[インド気象局|インド]](1875年)<ref>India Meteorological Department [http://www.imd.gov.in/doc/history/eastablishment-of-imd.htm Establishment of IMD.] Retrieved on 2009-01-01.</ref>、[[フィンランド気象研究所|フィンランド]](1881年)<ref>Finnish Meteorological Institute. [http://www.fmi.fi/organization/history.html History of Finnish Meteorological Institute.] Retrieved on 2009-01-01.</ref>、[[気象庁|日本]](1883年)<ref>Japan Meteorological Agency. [http://www.jma.go.jp/jma/en/History/indexe_his.htm History.] Retrieved on 2006-10-22.</ref>、[[アメリカ国立気象局|アメリカ]](1890年)、[[オーストラリア気象局|オーストラリア]](1904年)<ref name="ABC">{{Cite web|url=http://www.abc.net.au/news/stories/2008/01/01/2129737.htm |title=BOM celebrates 100 years |publisher=[[オーストラリア放送協会]] |accessdate=2008-01-01}}</ref><ref>{{Cite web|title=Collections in Perth: 20. Meteorology |publisher=National Archives of Australia |date= |url=http://www.naa.gov.au/naaresources/Publications/research_guides/guides/perth/chapter20.htm |accessdate=2008-05-24}}</ref>など各国で気象機関が設立される。
 
この頃にも気象学は発展を続けていく。1835年[[ガスパール=ギュスターヴ・コリオリ]]は回転座標系における回転体の運動方程式、つまり自転している地球上での風の運動を記述する方程式を発表する<ref name=corps>{{Cite journal|author=G-G Coriolis |title=Sur les équations du mouvement relatif des systèmes de corps |journal= J. De l'Ecole royale polytechnique |volume=15 |pages= 144–154 |year=1835}}</ref>。19世紀後半には、[[気圧傾度力]]と[[コリオリの力]]によって風が[[等圧線]]に沿って吹くことが理論的に証明される。1920年頃には、[[ヴィルヘルム・ビヤークネス]]らの研究グループによって[[温帯低気圧#ノルウェー学派モデル|ノルウェー学派モデル]]が提唱され、[[寒帯前線]]と絡めた[[気団]]論、温帯低気圧や[[前線 (気象)|前線]]の発達過程が初めて示された<ref name="NorCycMod">Shaye Johnson. [http://weather.ou.edu/~metr4424/Files/Norwegian_Cyclone_Model.pdf#search=%22norwegian%20cyclone%20model%22 The Norwegian Cyclone Model.] Retrieved on 2006-10-11.</ref>。また同研究グループの[[カール=グスタフ・ロスビー|ロスビー]]は後に[[大気波]]の一種である[[ロスビー波]]を発見するなど[[流体力学]]で業績を残し、{{仮リンク|トール・ベルシェロン|en|Tor Bergeron}}は1933年に雨の発生原理の1ひとつである「[[降水過程#冷たい雨|氷晶説]](現在の「冷たい雨」の原理)」を発表するなどしている。
 
この頃、地上や海上で行われていた気象観測が上空にも拡大し始める。[[気球]][[ロケット]]などで上空の大気現象を観測し研究する高層気象学は、高層観測が主流でなかった20世紀初頭までは独立した分野を確立していた。しかし、一般化してからはその意義を失い一般的な気象学と融合していった。
 
1922年、[[ルイス・フライ・リチャードソン]]は著書の中で数学的に天候の変化をすることは可能だと述べ、実際に計算を行ったが膨大な量と精度の問題から実用には程遠いものであった。1949年に[[ジュール・グレゴリー・チャーニー|チャーニー]]は[[数値予報]]に初めて成功し、1950年代にはコンピュータによって単純なモデルで大気の物理現象を計算することが可能となり、様々なシミュレーションが試みられるようになった<ref>{{cite book|title=Storm Watchers|page=208|year=2002|author=Cox, John D.|publisher=John Wiley & Sons, Inc.|ISBN=047138108X}}</ref>。その中で[[エドワード・ローレンツ|ローレンツ]]は計算結果の[[カオス理論|カオス]]的振る舞い([[バタフライ効果]])を発見し、後の[[アンサンブル予報]]と呼ばれる不確実性を少なくする予報手法へとつながっていく<ref>Edward N. Lorenz, "Deterministic non-periodic flow", ''Journal of the Atmospheric Sciences'', vol.&nbsp;20, pages 130–141 (1963).</ref><ref name="HPCens">{{cite web|url=http://www.hpc.ncep.noaa.gov/ensembletraining|author=Manousos, Peter|publisher=Hydrometeorological Prediction Center|date=2006-07-19|accessdate=2010-12-31|title=Ensemble Prediction Systems}}</ref>。[[1955年]]にアメリカ国立気象局、[[1959年]]に気象庁が数値予報を導入したが、スピードや精度はまだ低かった<ref>[http://www.jmbsc.or.jp/hp/topicks/0905/0905suutiyohou50th.pdf 50年目を迎えた気象庁の数値予報] 気象業務支援センター、2011年9月1日閲覧</ref>。これ以降もコンピュータの発達によって計算量・スピードは改善していった。
 
=== 日本の気象学の歴史 ===
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日本には自然観察に基づく経験則によって生み出された[[農事暦]]などは存在したが、体系的な気象学が入ってくるのは、[[江戸時代]]後期以後である。とはいえ、全くそれ以前に気象学が無かったわけではなく、西洋の気象学は部分的ながら[[戦国時代 (日本)|戦国時代]]に[[宣教師]]を通じて流入していた。[[山鹿素行]]は[[風]]が地表を移動する空気の流れである事には気づいていた。これは西洋で気象学が盛んになる前の発見であったが、彼の関心は[[軍学]]の一環としての物であり、独自の[[学問]]としては発達しなかった。[[蘭学]]の流入以後わずかながら気象の動きに抱く人も出てきて、[[柳沢信鴻]]や[[司馬江漢]]のように気象の状況について詳細な記録を残す人も登場した。[[土井利位]]が自ら[[顕微鏡]]で観察した[[雪]]の[[結晶]]についての研究書である『[[雪華図説]]』はよく知られている。
 
[[天保]]年間以後[[江戸幕府]][[天文方]]で気象観測が行われるようになり、[[安政]]4年には[[伊藤慎蔵]]によって本格的な気象書の翻訳である『[[颶風新話]]』が刊行された。なお、meteorologyを「気象学」と訳した最初の文献は[[明治]]6年の『[[英和字彙]]』である。2年後、東京気象台が設置され、明治17年には天気予報が開始、明治20年には[[中央気象台]]が発足されるとともに気象台測候所条例が制定され、日本の気象学が本格的に勃興することになる。
 
ヨーロッパ、アメリカなどの先進国の気象学と日本の気象学は、異なる発達過程を経てきている。これは地理的に離れていることで学者の交流が少ないことに加えて、[[台風]]や[[梅雨]]、[[日本海側]]の[[大雪]]などの独特の気象によって研究対象が違ったことが要因である。