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'''ラビンドラナート・タゴール'''([[英語]]:'''Rabindranath Tagore'''、[[ベンガル語]]:ロビンドロナート・タクゥル '''{{lang|bn|রবীন্দ্রনাথ ঠাকুর}}'''、[[ヒンディー語]]:ラビーンドラナート・タークゥル '''{{lang|hi|रवीन्द्रनाथ ठाकुर}}'''(टगोर)、[[1861年]][[5月7日]] - [[1941年]][[8月7日]])は、[[インド]]の[[詩人]] 、[[思想家]]
[[インドの国歌|インド国歌]]及び[[バングラデシュの国歌|バングラデシュ国歌]]の作詞・作曲者で、[[タゴール国際大学]]の設立者でもあ
== 人物 ==
タゴールは1861年5月7日、[[ベンガル州]][[カルカッタ]]の名門タゴール家に七人兄弟の末っ子として生まれた。タゴール家はタゴールの祖父の代にカルカッタ有数の大商人として成長を遂げた家であり、また父のデーヴェンドラナート・タゴール
幼い頃より詩作を能くしたがイギリス流の厳格な教育に馴染めず、3つの学校をドロップアウトする。[[1878年]]、17歳で[[イギリス]]の[[ユニバーシティ・カレッジ・ロンドン]](UCL)に留学、1年半を過ごすが卒業には失敗する。しかし、西欧文化に直接触れたことで詩人として大きく成長したといわれる。
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[[1909年]]、ベンガル語の詩集『[[ギタンジョリ]]』を自ら英訳して刊行する。これは詩人の[[ウィリアム・バトラー・イェイツ|イェイツ]]に絶賛され、評判となった(イェイツはこの詩集の序文も贈っている)。
[[1913年]]、タゴールはアジア人として初の[[ノーベル賞]]となる[[ノーベル文学賞]]を受賞
[[1916年]]には来日し、日本の国家主義を批判した<ref>「日本紀行」『タゴール著作集』第十巻、第三文明社</ref>。この時、親交のあった[[岡倉天心]]の墓を訪れ、天心ゆかりの[[六角堂 (北茨城市)|六角堂]]で詩を読んだ<ref>北茨城市史編さん委員会 編(1987):191 - 192ページ</ref>。
また[[マハトマ・ガンディー]]らのインド独立運動を支持し(ガンディーにマハトマ=偉大なる魂、の尊称を贈ったのはタゴール
ドイツのノーベル賞物理学者[[ハイゼンベルク]]には、東洋哲学を教えている。
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File:Tagore Gandhi.jpg|タゴールとガンディー(1940年)
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タゴールの死後もその文学への評価は高く、[[1950年]][[1月24日]]には独立したインド議会によって、タゴールが[[ベンガル語]]で作詞し作曲した[[ジャナ・ガナ・マナ]]がインド国歌に採用された。また、パキスタンが民族・地域対立によって東西で激しい対立が起こるようになると、[[東パキスタン]]はアイデンティティをベンガル語に求めるようになり、ベンガル語世界の生んだ最大の詩人であるタゴールの評価も高くなっていった。[[1970年]]の[[バングラデシュ独立戦争]]時には、タゴールが[[1905年]]に作詞作曲した[[我が黄金のベンガルよ]]がバングラデシュ解放軍によって歌われるようになり、独立後の[[1971年]][[1月16日]]には正式に[[国歌]]として採用された<ref>「もっと知りたいバングラデシュ」p119 [[臼田雅之]]・[[佐藤宏]]・[[谷口晋吉]]編 弘文堂 平成5年9月15日初版1刷</ref>。
==日本との関係==
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早くから[[日本]]に対する関心も深く、岡倉天心・[[河口慧海]]・[[野口米次郎]]らとの親交があり、[[日本人]]の自然を愛する美意識を高く評価した。5度にわたって訪日している。
タゴールは、1924年の3度目の来日の際に
タゴールは中国について、「中国は、自分自身というものをしっかり保持しています。どんな一時的な敗北も、中国の完全に目覚めた精神を決して押しつぶすことはできません」<ref>「日本の野口米次郎への手紙」、我妻和男著、『人類の知的遺産61-タゴール』講談社</ref>と述べた。タゴールのこうした日本批判に対して、友人でもあった野口米次郎とは論争になった<ref>前掲「日本の野口米次郎への手紙」</ref>。野口は日本は中国を侵略しているのではなく、イギリスの走狗と戦っているのだとした<ref>大沢 吉博「タゴールのナショナリズム批判--第一回来日(一九一六)をめぐって」『比較文学』1981。鈴木貞美『戦後思想は日本を読みそこねてきた 近現代思想史再考』 平凡社新書、2009,182p</ref>。
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