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[[ファイル:Olmec mask 802.jpg|thumb|190px|[[オルメカ|オルメカ文化]]の翡翠の仮面]]
[[ファイル:2013-13-27 Máscara funeraria mixteca Tumba No. 7 Monte Alban Museo de las Culturas de Oaxaca anagoria.JPG|thumb|250px|right|メソアメリカの先住民[[ミシュテカ]]の翡翠の仮面、西暦およそ1300年 - 1350年頃]]
'''ヒスイ'''(翡翠、jade){{lang-en-short|jade}})は、深緑の半透明な[[宝石]]の一つ。[[東洋]]([[中国]])、[[中南米]]([[インカ文明]])では古くから人気が高い[[宝石]]であり、[[]]以上に珍重された。古くは'''[[玉]]'''(ぎょく)と呼ばれた。
 
[[鉱物学]]的には「翡翠」と呼ばれる[[石]]は[[化学組成]]の違いから「'''硬玉'''([[ヒスイ輝石]])」と「'''軟玉'''([[ネフライト]] : [[透閃石]]-[[緑閃石]]系[[角閃石]])」に分かれ、両者は全く別の[[鉱物]]である。しかし見た目では区別がつきにくいことから、どちらも「翡翠」と呼んでいる。
 
== 概要 ==
非常に壊れにくいことから[[先史時代]]には[[石器]][[武器]]の材料でもあった。[[ヨーロッパ]]では翡翠で作られた[[石斧]]が出土する。
[[不老不死]]および生命の再生をもたらす力を持つと信じられており{{要出典|date=2010年1月}}、[[古代]]においては遺体全体を玉で覆うことが行われた。[[秦]]の[[始皇帝]]の遺体も玉で覆われていたとされる。中南米の[[王族]]の墓でも同様の処置が確認される。
 
中国では、他の宝石よりも価値が高いとされ、古くから、[[腕輪]]などの[[装飾品]]や[[器]]、精細な[[彫刻]]をほどこした[[置物]]など加工され、利用されてきた。
中国では、他の宝石よりも価値が高いとされ、古くから、[[腕輪]]などの[[装飾品]]や[[器]]、精細な[[彫刻]]をほどこした[[置物]]など加工され、利用されてきた。[[ニュージーランド]]や[[メソアメリカ]]では[[まじない]]の道具としても使われていた(メソアメリカでは腹痛を和らげる石として使われていた)。また非常に壊れにくいことから[[先史時代]]には[[石器]][[武器]]の材料でもあった。ヨーロッパでは翡翠で作られた[[石斧]]が出土する。[[日本]]では[[古代]]に[[糸魚川]]で産出する硬玉の翡翠が[[勾玉]]などの装飾品の材料とされ珍重されていたと推定されるが、奈良時代以降その存在は顧みられなくなっていた。日本での翡翠の産出が再発見されたのは[[1938年]](昭和13年)のことである。[[2008年]](平成20年)[[北京オリンピック]]のメダルにも使われている。現在では翡翠は[[乳鉢]]の材料としても馴染み深い。
 
[[不老不死]]および生命の再生をもたらす力を持つと信じられており{{要出典|date=2010年1月}}、[[古代]]においては遺体全体を玉で覆うことが行われた。[[秦]]の[[始皇帝]]の遺体も玉で覆われていたとされる。中南米の[[王族]]の墓でも同様の処置が確認される。[[ニュージーランド]]や[[メソアメリカ]]では[[まじない]]の道具としても使われていた(メソアメリカでは腹痛を和らげる石として使われていた)
日本では[[5月]]の[[誕生石]]に[[エメラルド]]とともに数えられている。宝石言葉は「長寿、健康、徳」。2016年9月には日本の[[国石]]と認定されている。
 
現在判明している世界最古のヒスイの加工は、現・[[日本]][[新潟県]][[糸魚川市]]において[[縄文時代]]中期(約5000年前)から始まった<ref name="IIG6527">[http://www.city.itoigawa.lg.jp/6527.htm ヒスイって何だろう](糸魚川市)</ref>。世界最古の翡翠大珠が[[山梨県]]で見つかっている<ref name="NSMculture">[http://www.kahaku.go.jp/exhibitions/ueno/special/2004/jadeite/ex/02.html 翡翠の文化史]([[国立科学博物館]]「翡翠展」 2004/11/13-2005/2/13)</ref>。[[弥生時代]]・[[古墳時代]]においても珍重され、祭祀・呪術に用いられたり、装身具や[[勾玉]]などに加工されたりした<ref name="IIG6527"/><ref name="NSMculture"/>。しかし、[[奈良時代]]以降は見向きもされないようになった<ref name="IIG6527"/><ref name="NSMculture"/>。そのため、国内産地も分からなくなり、研究者たちは国内で出土する勾玉等は国外から持ち込まれたものと考えていたが、[[1938年]](昭和13年)に糸魚川で見つかった鉱物を東北帝国大学(現・[[東北大学]])が鑑定し、国内産地があることが再発見された<ref name="IIG6527"/><ref>[http://www.j-times.jp/news.php?seq=10375 産出再発見の第一号、「歴史変えたヒスイ」展示 フォッサマグナミュージアム、"新たな目玉"に]([[上越タイムス]] 2015年5月25日)</ref><ref>[http://www.kahoku.co.jp/tohokunews/201610/20161007_13019.html「日本の石」ヒスイ 77年前の業績に光]([[河北新報]] 2016年10月7日)</ref>。
 
日本では[[5月]]の[[誕生石]]に[[エメラルド]]とともに数えられている。宝石言葉は「長寿、健康、徳」。2016年9月には日本の[[国石]]と認定されている。[[2008年]](平成20年)[[北京オリンピック]]のメダルにも使われている。現在では翡翠は[[乳鉢]]の材料としても馴染み深い
 
=== 硬玉と軟玉 ===
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琅玕は中国語で青々とした美しい[[竹]]を意味し、英語では'''インペリアルジェイド'''と呼ばれる。これは[[西太后]]が熱狂的な収集家であったことに由来するとされる。
 
また、世界で最初に翡翠を使ったのは、約5000年前の縄文前期末の人々であり、世界最古の翡翠大珠が山梨県で見つかっている<ref>[http://www.kahaku.go.jp/exhibitions/ueno/special/2004/jadeite/about/index.html 「翡翠」 とは] 国立科学博物館 翡翠展 2004/11/13-2005/2/13</ref><ref>[http://www.kahaku.go.jp/exhibitions/ueno/special/2004/jadeite/ex/02.html 翡翠の文化史] 国立科学博物館 翡翠展 2004/11/13-2005/2/13</ref>。
 
== 語源 ==
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=== 染色 ===
昨今の染色技術は、肉眼による鑑別が不可能な域にまで達し、それ故、染色された翡翠を天然の色であるように偽って高値で販売されることも少なくない。このような場合、鑑別には'''[[チェルシーフィルター]]'''という、特殊な波長特性を持つフィルターが使われる。一般に、緑色の翡翠の鑑別に用いられるが、ラベンダー翡翠の鑑別用フィルターも作られている。
 
== 脚注 ==
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== 参考文献 ==
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* [[岡本真琴]]・[[工藤智巳]] 『白いヒスイ谷への招待』 [[青山社]]、2003年、ISBN 4-88359-099-2。
* [[松原聰]]・[[宮脇律郎]] 『[[国立科学博物館]]叢書5 日本産鉱物型録』 [[学校法人東海大学出版会|東海大学出版会]]、2006年、ISBN 978-4-486-03157-4。
 
== 脚注 ==
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<references/>
 
== 関連項目 ==