「アブドゥルマリク」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
編集の要約なし
記事の整理
1行目:
{{Otheruses|ウマイヤ朝の第5代カリフ|現代フランスの音楽家・ラッパー|アブダル・マリック}}
{{複数の問題
| 出典の明記 = 2016年10月
| 脚注の不足 = 2016年10月
}}
'''アブドゥルマリク'''あるいは'''アブド・アルマリク'''('''عبد الملك بن مروان'''、'''Abd al-Malik ibn Marwan'''、[[646年]] - [[705年]][[10月8日]])は、[[ウマイヤ朝]]の第5代[[カリフ]](在位:[[685年]]-[[705年]])。ウマイヤ朝[[中興]]の英主と評価される。
 
== 略歴生涯 ==
[[685年]]に父である第4代カリフの[[マルワーン1世]]が死に、カリフに即位する。即位後は[[ムアーウィヤ]](1世)死後から進む[[イスラム世界]]の分裂を抑えるため、軍を動かして反対運動を制圧した。[[692年]]、[[アル=ハッジャージ・イブン・ユースフ]]の率いる大軍を[[メッカ]]に派遣し、カリフを自称して反ウマイヤ運動を展開していた[[クライシュ族]]の有力者[[アブドゥッラー・イブン・アッズバイル]]を滅ぼし、帝国全土の支配を回復した<ref name=shimada>嶋田(1978)p.17</ref>。対外面においては[[東ローマ帝国]]と戦って領土を拡大したうえ、東はアル・ハッジャージを[[イラク]][[総督]]に、西は[[ムーサー・イブン・ヌサイル]]を[[北アフリカ]]総督に任じ、2人の活躍により、それぞれ[[シンド]]・[[ソグディアナ]]地方と[[モロッコ]]西部まで版図を拡大した。経済面においては、新たに[[金貨]]([[ディーナール]]金貨)・[[銀貨]]([[ディルハム]]銀貨)を鋳造した。彼の治世において[[アラビア語]]を[[公用語]]にしたことは功績のひとつといわれている。しかし、[[キリスト教徒]]を嫌って激しく[[弾圧]]した。[[705年]]、59歳で死去し、後を子の[[ワリード1世]]が継いだ。
 
10 ⟶ 14行目:
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
{{Reflist}}
<references />
 
== 出典参考文献 ==
*[[嶋田襄平]]「ウマイヤ朝とダマスクス」[[前嶋信次]]・[[石井昭]]編集『世界の文化史蹟第10巻 イスラムの世界』講談社、1978年。
<!--*[[サイイド・アミール・アリ|アミール・アリ]]『回教史 A Short History of the Saracens』(1942年、善隣社)-->
 
== 関連項目 ==
*[[ウマイヤ朝]]
 
{{ウマイヤ朝カリフ|第5代: 685-705}}