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==歴史==
サン・ロッケ([[ラテン語]]名:聖[[ロクス]])の原型となる礼拝堂は、1506年から1515年にかけ城壁の外に[[マヌエリン様式]]で建てられた。聖ロクスは[[黒死病]]から信者を守ってくれると信じられており、[[ジョアン3世 (ポルトガル王)|ジョアン3世]]は1523年にサン・ロッケ教会のそばに黒死病が原因で死んだ者たち専用の墓をつくらせた。1525年、礼拝堂でサン・ロッケの信徒会が結成された。
 
1540年、イエズス会から派遣されてきた最初の会員たちがポルトガルへ到着した。中には、のちに東アジアへ初めて布教へ赴いた[[フランシスコ・ザビエル]]も含まれていた。イエズス会は1553年にサン・ロッケ礼拝堂を所有、すぐに小さな礼拝堂を大きな教会とすることを決めた。現在の建物は1565年から1587年にかけ、簡素な[[マニエリスム]]様式で建造された。その教会は、ポルトガル国内やポルトガルの植民地にある他のイエズス会派教会の建築的手本となるようにされた。