「笹子トンネル (中央本線)」の版間の差分
削除された内容 追加された内容
166行目:
1902年(明治35年)7月6日についに導坑が貫通した。貫通点での誤差は、中心線が4インチ8分の3(約11.1 cm)横にずれ、東口側から掘ってきた方が北東側にずれていた。また高低差は1寸4分(約4.2 cm)であった。全長は三角測量の値より6リンク(約1.2 m)伸びていた。これらの誤差は、その後の切り広げや覆工の際に調整してトンネルを完成させた<ref name = "工事報告_179-180" />。7月12日には東西両口において関係者を招いて貫通祝賀会を行っている<ref name = "工事に就て_560-561" />。覆工巻き立ては10月12日に完成し、排水溝の蓋の取り付けも11月5日に完了してすべての工事が完成した<ref name = "工事報告続_238" />。1903年(明治36年)2月1日に開通した<ref name = "歴史の興味_20" />。
掘削した土砂の量は21,511.71立坪(約129,307立方メートル)、使用した煉瓦は12,407,554本に及んだ<ref name = "工事報告続_244" />。当初の予算は383万円と見積もっていたが<ref name = "工事報告_89" />、実際には工費・材料費などすべて合わせて
当初は八王子起点33マイル20チェーン50リンク(約53.2 km)から36マイル11チェーン50リンク(約57.8 km)の延長2マイル71チェーン(約4,647.2 m)と計画されていたが、坑門を建設するに際し周辺の地形の都合から東口を八王子起点33マイル20チェーン20リンク(約53.2 km)、西口を36マイル11チェーン65リンク(約57.8 km)の位置に設置することになり、総延長は2マイル71チェーン45リンク(約4,656 m)となり、さらに実測の結果2マイル71チェーン51リンク(15,279.66フィート、4,657.2 m)と確定した<ref name = "工事報告続_244-245" />。
|