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Munasca (会話 | 投稿記録)
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:余談になりますが、数理ファイナンスや金融工学と経済学の一部として位置づけられる金融経済学、ファイナンスの違いは価格過程を所与のものとして見なすかどうかが一番大きなポイントとして見なされるのが一般的です。数理ファイナンスや金融工学における最適な投資比率決定問題であったり裁定によって決まる相対価格といった議論・問題においては、一般均衡下の価格受容者としての市場参加者の視点から見れば価格は所与と考えて議論してもよく、祝迫先生が引用なさっているようなアンドリュー・ロー教授の(市場参加者のための)「数量的な側面を重視した目的志向型のファイナンスという学問の実践」という要約はそういう点を意図したものだと考えられます。なのでこれらの分野は祝迫先生が指摘なさっているように、実務家が(所与の価格の下で)どのようにリスクを管理したり、金融投資を行うべきかという点を分析することを目的としています。逆に伝統的なファイナンス理論においては、価格が均衡下でどのように定まるか、という点に重きを置いており、それが祝迫先生が仰っているように、Fama, Black, Sharpeらの(数理ファイナンスや金融工学との分化が起こる以前の)現代的なファイナンスの創生期に重要な業績を残した学者に共通の意識であるように思います。そのようなファイナンス創生期の人々の問題意識はペリー・メーリング(2006)「金融工学者フィッシャー・ブラック」isbn:482224511X などで伺い知ることができるでしょう。ただどちらの分野にせよ、目的意識は違ったとしても基本的な方法論としてはほぼ共通していますから、ツールとしての伊藤の公式やそれに続く確率解析の理論は金融経済学と見なされるファイナンス研究においても非常に重要な役割を持つと言えるでしょう。実際に、先ほど挙げたJohn Cochraneの著書では、一般にマクロファイナンスと呼ばれる分野における均衡理論において伊藤の公式を用いた分析が数多くなされています。またこの区別はあくまで大枠に過ぎず、数理ファイナンス、金融工学的な研究でも均衡理論に基づく内生的な価格決定機構を備えた研究もありますし、両方の分野で活躍しているような研究者も大勢います(例えば、先ほど挙げた Darrell Duffie など)。さらに言えば、伊藤の公式は不確実性を伴う連続時間のモデルではほぼ必須と言っていいほど使用されるのが常ですから、そのような分析を行っているモデル(先ほど挙げたSanikovの業績や連続時間のゲーム理論、マクロ経済学における連続時間の一般均衡理論など)が多数現れる経済学の分野全体にとっても大きな貢献を果たしていると言っても過言ではないでしょう。--[[利用者:Munasca|Munasca]]([[利用者‐会話:Munasca|会話]]) 2016年10月9日 (日) 12:29 (UTC)
{{報告}} 『NHKスペシャル・マネー革命2 金融工学の旗手たち』を確認したので報告いたします。結論から言えば、伊藤氏は第8章で「知られざる金融理論界の巨人」(283頁)として紹介されてはいるものの、「経済学への貢献」といった類の記述は見られませんでした。「経済学」関連の記述としては「サミュエルソン(...)の論文の付録に私の仕事が詳しく紹介されていたのを見た気がするんですが(...)あまり関心がありませんでした。」(284頁)という伊藤氏ご本人のコメントがあった程度であり、本記事当該箇所の記述は加筆者の[[独自研究]]と考えて良さそうです。◆対応としましては、<br>①「経済学分野への貢献」という見出しは、専門家や機関の中にも「ファイナンスは経済学ではなく経営学や工学である」派と「ファイナンスは金融経済学の一部でありしたがって経済学の一分野である」派がいる以上、「経済学分野への貢献」よりも「ファイナンス分野への貢献」とか「金融工学分野への貢献」にしておくのが[[中立的な観点]]から適切だと思います。<small>もちろん、[[利用者:Munasca|Munasca]]さんのように「ファイナンスは金融経済学の一分野であり然るにファイナンスは経済学の一分野」という立場の方は「経済学分野への貢献」でいいじゃないかと思うのでしょうけれど、ここがウィキペディアである以上、そうはいきませんので。</small>ウィキペディアで「''経済学の分野全体にとっても大きな貢献を果たしていると言っても過言ではないでしょう。''」と判断するためには「伊藤の公式が連続時間のゲーム理論や動学的一般均衡理論で応用されることも多く、したがってこの公式経済学全般にとって大きな貢献を果たしている」という内容が書いてある二次資料(この場合ですと教科書やサーベイ論文)が無ければなりません。これがウィキペディアの[[WP:V]]や[[WP:NOR]]といった公式方針の意味するところであり然るにウィキペディアは面倒臭いのです。<small>匿名の編集者が一次資料を解釈した結果を掲載することができないというのは面倒である一方、ウィキペディアの魅力だと思っております。</small><br>②現行のようにテレビ番組を出典としておくのは([[検証可能性]]の観点から)論外として、書籍の方も出典として使うのは避けた方が良いと思います。というのもテクニカルな解説が掲載されている「定理は金融工学の基礎をなす重要な道具になった」という節の冒頭に「『伊藤の定理』はとても難解で、数学に素人の筆者には十分な解説をする能力がない。しかし、専門家からお叱りを受けることも覚悟して意訳すると(...)」(310頁)とあり、明らかに[[信頼できる情報源]]の要件を満たさないからです。<small>もちろん、伊藤氏へのインタビュー部分で語られている伊藤氏の経歴やエピソードならば引用しても良いのでしょうけれども。</small>したがって、当該箇所は全除去し、新たに出典を探す、というのが得策かと思います。--[[利用者:ミクロ経済学|ミクロ経済学]]([[利用者‐会話:ミクロ経済学|会話]]) 2016年10月10日 (月) 12:40 (UTC)
:私は少なくともいくつかの国際的に評価された経済学研究や教科書等で伊藤の公式が分析に用いられている事例をいくつか挙げました。それでも、それらの研究は経済学とは見なしていないという考え方が一定数あるということが確かな情報源で確認でき、伊藤の公式が経済学研究に影響を与えたという記述はそういった考え方をしているグループの存在を前提とした場合、[[WP:NPOV]]に反するというのならば、書き換えなさればよろしいのではないでしょうか。もう私はこの件に関してはこれ以上は関与いたしません。--[[利用者:Munasca|Munasca]]([[利用者‐会話:Munasca|会話]]) 2016年10月10日 (月) 14:20 (UTC)
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