ホーム
おまかせ表示
付近
ログイン
設定
寄付
ウィキペディアについて
免責事項
検索
「1990年沖縄県知事選挙」の版間の差分
言語
ウォッチリストに追加
編集
履歴の双方向閲覧
← 古い編集
新しい編集 →
削除された内容
追加された内容
ビジュアル
ウィキテキスト
2016年1月27日 (水) 13:01時点における版
編集
Bggh9999
(
会話
|
投稿記録
)
拡張承認された利用者
5,551
回編集
→選挙結果
← 古い編集
2016年10月12日 (水) 01:09時点における版
編集
取り消し
Coptic Light
(
会話
|
投稿記録
)
拡張承認された利用者
38,283
回編集
m
編集の要約なし
新しい編集 →
9行目:
== 概要 ==
沖縄県知事の任期満了に因り実施された。選挙は自民党と民社党が推薦する無所属現職で4期目を目指した西銘順治と新人で「革新共闘会議」統一候補の太田昌秀による保革
[[
一騎
打
討
ち
]]
の争いとなった。選挙では西銘県政に対する評価のみならず、当時の国会で論議されていた[[国際連合平和維持活動等に対する協力に関する法律|国連平和協力法案]](以下、平和協力法案)に対する賛否も争点となった。また各党は翌1991年春に行われた[[第12回統一地方選挙]]の前哨戦と位置付けた選挙戦を展開した。
== 日程 ==