「ロンドン海軍軍縮会議」の版間の差分

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sty, typo, 条約内容の表記順を米→英→日の順に統一
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;戦艦
:艦建造中止措置の5年延長、および既存艦の削減。これにより、イギリスの「[[ベンボウ_(戦艦)|ベンボウ]]」「[[マールバラ_(戦艦)|マールバラ]]」「[[アイアン・デューク_(戦艦)|アイアン・デューク]]」「[[エンペラー・オブ・インディア_(戦艦)|エンペラー・オブ・インディア]]」「[[タイガー_(巡洋戦艦)|タイガー]]」、アメリカの「[[ユタ_(戦艦)|ユタ]]」「[[フロリダ_(戦艦)|フロリダ]]」「[[ワイオミング_(戦艦)|ワイオミング]]」、日本の「[[比叡_(戦艦)|比叡]]」(日)を廃艦とした。ただし「ワイオミング」「アイアン・デューク」「比叡」の三艦は武装・装甲・機関の一部を軽減することを条件に[[練習艦|練習戦艦]]としての保有が認められた。
;航空母艦
:従前は条約外であった1万トン以下の空母も前条約の規定の範囲とした。
;巡洋艦
:上限排水量は前条約のままだが、下限排水量は1850トンを上回ることとなり合計排水量も規定。その種類もはっきりと分けることになった
:;カテゴリーa(通称:重巡洋艦)
::備砲は6.1インチより大きく8インチ以下。
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:;カテゴリーb(通称:軽巡洋艦)
::備砲は5.1インチより大きく6.1インチ以下。
::合計排水量は、英19米1422003500トン、米14英1935002200トン、日10万0450トン。比率で10.0:13.4:7.0とした
;駆逐艦
:備砲は5.1インチ以下。排水量は600トンを超え1850トン以下。1500トンを超える艦は合計排水量の16パーセント。
:合計排水量は、15万トン)・15万トン(米)・、日10万5500トン(日)比率10:10:7とした。
:駆逐艦のみこのような複雑な規定となっているのは、日本が保有する[[吹雪型駆逐艦|吹雪型(特型)駆逐艦]]のような大型駆逐艦を制限するためである。
;潜水艦
:上限排水量は2000トン、備砲は5.1インチ以下。3艦に限り2800トンで6.1インチ以下。
:合計排水量は、各国とも5万2700トンとした。
:3艦のみの特別措置は、アメリカの潜水艦「[[ノーチラス (潜水艦)|ノーチラス]]」「[[ナーワル (潜水艦)|ノーワール]]」「[[アルゴノート (SS-166)|アルゴノート]]」の保有を維持するためである。
;その他
:日本の補助艦全体の保有率を対米比、6.975とすることした
:排水量1万トン以下、速力20ノット以下の特務艦排水量2000トン以下、速力20ノット以下、備砲6.1インチ砲4門以下の艦、および排水量600トン以下の艦は無制限となった。
 
== 影響 ==
日本の内閣としては、当初は対英米7割を希望したが、アメリカの要望に応じて0.025割を削ることで対英米6.975割とする妥協案をアメリカから引き出せたことで、この案を受諾する方針であり、海軍省内部でも賛成の方針であった<ref>将来の日米戦争での決戦は日本近海での艦隊決戦になると日米とも予想していたが、日本側は太平洋を横断してくるアメリカ艦隊を途中で潜水艦・空母機動部隊・補助艦艇によって攻撃し(『漸減邀撃』)、決戦海域に到着するまでに十分にアメリカ艦隊の戦力を削るという対抗策を取ろうとした。艦隊決戦で日本艦隊が勝利できるほどにアメリカ艦隊の戦力を削るためには、日本側の補助艦艇の対米比率が7割は必要というのが日米で共通した見解であった。このため、日本側は7割を主張し、アメリカ側は6割を主張した。[[帝国国防方針]](日本の戦争計画)、および[[オレンジ計画]](アメリカの戦争計画)も参照。</ref>。軍令部は重巡洋艦保有量が対アメリカ6割に抑えられたことと、潜水艦保有量が希望量に達しなかったことの2点を理由に条約拒否の方針を唱えた。
 
さまざまな曲折を経て、[[1930年]][[10月1日]]の枢密院本会議は、満場一致で条約を可決し、翌日の[[10月2日]]、正式に条約が批准された。[[ロンドン海軍軍縮条約]]の[[批准]]にはこぎつけたものの、海軍内部ではこの過程において条約に賛成する「[[条約派]]」とこれに反対する「[[艦隊派]]」という対立構造が生まれた。また、濱口内閣の蔵相の[[井上準之助]]が緊縮財政を進め、海軍の予算を大幅に削ったことも[[艦隊派]]の不満を高めた。
[[ロンドン海軍軍縮条約]]の[[批准]]にはこぎつけたものの、海軍内部ではこの過程において条約に賛成する「[[条約派]]」とこれに反対する「[[艦隊派]]」という対立構造が生まれた。また、濱口内閣の蔵相の[[井上準之助]]が緊縮財政を進め、海軍の予算を大幅に削ったことも[[艦隊派]]の不満を高めた。
 
また、希望量を達成できずに条約に調印してしまったこと、フランス等のように日本も条約を部分参加にとどめなかったことに対し、一部マスコミや野党から批判が噴出した。野党・[[立憲政友会]]の[[犬養毅]]や[[鳩山一郎]]らや、[[枢密院 (日本)|枢密院]]の[[伊東巳代治]]や[[金子堅太郎]]などの枢密顧問官は、[[大日本帝国憲法第11条]]の「天皇ハ陸海軍ヲ統帥ス」(統帥大権)を盾に、政府が軍令(=統帥)事項である兵力量を天皇(=統帥部)の承諾無しに決めたのは憲法違反だとする、いわゆる「'''[[統帥権#統帥権干犯問題|統帥権干犯問題]]'''」を提起した。濱口内閣は民政党が衆議院の多数を占めていたことを背景に、条約批准にこぎつけることができたが、この時に与野党の政争のために統帥権を持ちだしたことにより、議会は後に統帥権を主張する軍部の独走を押さえられなくなる。