「リディア・デイヴィス」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
頭痛 (会話 | 投稿記録)
一部en:Lydia Davis 2016年9月24日 (土) 04:08‎ (UTC) の訳を含む
 
頭痛 (会話 | 投稿記録)
41行目:
小学生時代から[[サミュエル・ベケット]]や[[ドス・パソス]]などの作品に親しみ、早いうちから作家を志した。[[バーナード・カレッジ]]で学んでいたころはもっぱら詩を書いていたという<ref>{{cite web|url=http://032c.com/2013/storytelling-a-strange-impulse-lydia-davis/|title=LYDIA DAVIS: Storytelling, a Strange Impulse|last=032c.com|accessdate=5 March 2014}}</ref>。大学卒業後は翻訳で生計を立てつつアイルランドやフランスで生活した<ref name="記憶のない女">リディア・デイヴィス 『ほとんど記憶のない女』 岸本佐知子訳、白水社、2005年、191-197頁(訳者解説)。</ref>。1974年にポール・オースターと結婚し、一児をもうけたが、1977年に離婚。のちに抽象画家のアラン・コートと再婚し、彼との間にも一児をもうけている<ref name="CL-Int">{{cite journal | url=http://www.jstor.org/stable/1208793 | title=An Interview with Lydia Davis | author=Knight, Christopher J. | journal=Contemporary Literature | year=1999 | volume=40 | issue=4 | pages=525–551 | doi=10.2307/1208793}}</ref><ref name="サミュエル・ジョンソン"/>。
 
1976年、最初の短編集『十三人目の女』を出版。1994年に、現在のところ唯一の長編である『話の終わり』を出版。2009年にはそれまでの4冊の短編集をまとめた "''The Collected Stories of Lydia Davis"'' が刊行され、若い読者に注目されるきっかけとなった。グッゲンハイム賞、ラナン賞、マッカーサー賞などを受賞、2007年には短編集 "''Varieties of Disturbance"'' で[[全米図書賞]]最終候補<ref name="話の終わり">リディア・デイヴィス 『話の終わり』 岸本佐知子訳、作品社、2010年、268-274頁(訳者解説)。</ref>。2013年には[[ブッカー国際賞]]を受賞している。
 
本国ではフランス文学の翻訳家としても知られている<ref name="記憶のない女"/>。これまでに[[ミシェル・フーコー|フーコー]]、[[モーリス・ブランショ|ブランショ]]、[[アンリ・ミショー|ミショー]]、[[ジャン・ポール・サルトル|サルトル]]、[[ミシェル・レリス]]、[[ミシェル・ビュトール]]などの訳書を出しており、2002年には[[マルセル・プルースト|プルースト]]の『[[失われた時を求めて]]』の「スワン家の方へ」を80年ぶりに新訳して高い評価を得た。この功績により、2003年にフランス政府から[[芸術文化勲章|芸術文化勲章シュヴァリエ]]を受けている<ref name="話の終わり"/>。その後は[[ギュスターヴ・フローベール|フロベール]]の『[[ボヴァリー夫人]]』の新訳などを出しており、スペイン語やスウェーデン語からの翻訳も手掛けている<ref name="サミュエル・ジョンソン"/>。