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'''豊葦原中国'''(旧字体:豐葦原中國、とよあしはらのなかつくに)とも呼ばれ、単に[[中国 (曖昧さ回避)|中国地方]]<!--[[中国#日本における「中国」]]は中国地方の説明-->、もしくは'''中津国'''([[中つ国]])とも言う。[[日本書紀]]には、[[豊葦原千五百秋瑞穂國]](とよあしはらのちいほあきのみずほのくに)という記載がある。[[神|神々]]の住む天上世界である高天原と、死後の世界である黄泉、あるいはスサノオが治める根之堅洲国に対比された日本の国土を指すと考えられる。
 
[[日本神話]]によれば、[[スサノオ]]の粗暴に心を痛めた姉の[[天照大神]]は[[天岩戸]]に隠れてしまい世の中が混乱してしまった。このため、[[八百万の神々]]は協議の結果、スサノオに千位置戸(通説では財物、異説では拷問道具)を納めさせ、鬚を切り、手足の爪を抜いて[[高天原]]から追放したとされる<ref>榎村寛之「神逐」(『歴史学事典 9 <small>法と秩序</small>』(弘文堂、2002年)</ref>(『[[古事記]]』では[[神逐]](かんやらい)、『[[日本書紀]]』では'''逐降'''(かんやらひやらひ)と称する)。[[スサノオ]]の息子である[[大国主]]([[大国主|オホナムチ]])が、[[スクナビコナ]]と協力して天下を経営し、[[禁厭]](まじない)、医薬などの道を教え、[['''葦原中国]]'''の国作りを完成させたといわれる([[日本書紀]])。大国主はのち、国土を天孫[[ニニギ]]に譲って杵築(きづき)の地に隠退、後に[[出雲大社]]の祭神となっている。
 
以下を参照。
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