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明代の南京国子監は、清初には江寧府学に改められた。清末には[[太平天国]]の後、紆余曲折を経て、両江師範学堂がこの地に置かれ、西洋風の建築物が建てられた。[[中華民国]]時代には南京高等師範学校の園内となった。なお南京高等師範学校は1921年、国立東南大学となり、1928年には国立中央大学と改められた。中華人民共和国成立後は1949年に名を国立南京大学と改められ、1950年からは[[南京大学]]と称した。国子監跡地にあったのは工学院であったが、1952年には全国規模の院系調整により、南京大学から分かれて南京工学院となり、南京工学院は1988年、名を[[:zh:東南大学|東南大学]]と改めて現在に至っている。
 
元・明・清三代に渡って置かれた北京国子監は現在、北京市[[東城区]]の国子監街にある。その建築物は現在に至るまで残されており、[[中華人民共和国全国重点文物保護単位|全国重点文物保護]]となっている。また、北京市の国子監街は[[2010年]]第1回「中国歴史文化名街」の1つに選定された<ref>「歴史ある街並み中国保護へ本腰」、『[[毎日新聞]]』2010年3月15日、12版、14 - 15 面。</ref>。
 
[[File:biyong of Guozijian in Beijing.jpg|300px|thumb|left|北京国子監辟雍殿]]