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'''白話'''(はくわ)とは[[中国語]]における[[書き言葉]]の一種。[[唐代]]に生まれ、[[宋 (王朝)|宋]]・[[元 (王朝)|元]]・[[明]]・[[清]]と確立されてきた[[口語]]に接近した書き言葉のことをいう。知識人が[[古典]]を基礎として作った書き言葉である[[文言]]に対し、白話は各時代において民間で話されている口語を反映させようとしており、大衆にも理解されるように工夫されている。
 
唐代の白話として挙げられるものに[[敦煌文献|敦煌]]の[[変文]]がある。これは民衆に聞かせる意図で作られたものであるので多分に口語が取り入れられたが、いまだ口語を文章として表現する技巧が確立されておらず多分に文言的要素を含んでいた。また唐から宋にかけて流行した[[語録]]にも口語がふんだんに取り入れられたが、やはり口語を用いて表現できないものには文言が使われていた。
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宋代になると都市において大衆文化が盛んになり、[[説話 (中国)|説話]]といわれる大衆向けの語り物が出し物が隆盛した。その台本を[[話本]]といい、大衆に聞かせ、読ませるために、より口語に接近して書く方法が確立された。またやがて話本をもとに小説が作られるようになり、これを[[白話小説]]と呼ぶ。
 
== 白話運動 ==
[[近代]]に至るまで、白話は、民衆語として低俗なものとされていたが、[[1917年]](民国6年)、[[胡適]]がアメリカから雑誌『新青年』に「文学改良芻議」を寄稿し、近代的[[プラグマティズム]]の観点から、難解な[[文語]]文を廃して口語文(白話文)にもとづく白話文学を提唱した。これは、日本における[[言文一致運動]]と同様の事情である。この運動は[[文学革命]]とも呼ばれ、理論面で胡適が、実践面は[[魯迅]]などによって推進され現代中国語の形成に大きく貢献した。しかし文言の要素は大きく白話にも影響を与え、現在でも[[文章語]]では文言に近い文体が使われることが多い。
 
== 関連項目 ==
*[[漢文]]