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[[ファイル:Anatolia 1097.svg|thumb|400px|[[1097年]](ニカイア攻囲戦の前)のアナトリア。ダニシュメンド朝はアナトリア中央部の北東にあった]]
 
'''ダニシュメンド朝'''(ダーニシュマンド朝、[[トルコ語]] Dânişmendliler)は[[オグズ]]系[[トゥルクマーン]]により[[アナトリア半島]]の中部および北東部に建てられた[[セルジューク朝]]系[[アタベク]]政権であり、[[11世紀]]後半から[[12世紀]]後半まで存在した。[[スィヴァス]](Sivas)を首都とし、[[トカット]](Tokat)や[[ニクサル]](Niksar)などを当初は支配した。やがて西は[[アンカラ]]、北は[[カスタモヌ]](Kastamonu)、南は[[マラティヤ]](Malatya)へと領土を伸ばした。11世紀末から12世紀初頭、ダニシュメンド朝は周囲を取り囲む[[ルーム・セルジューク朝]]と激しく争ったほか、西方からやってきて[[シリア地方]]を支配した[[十字軍]]とも戦っている。
 
== ダニシュメンド・ガーズィーと君主の称号 ==