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==歴史==
[[File:Η μάχη των Φαρσάλων (1897).jpg|thumb|right|ファルサルスの戦い]]
[[古代ギリシア]]時代は[[テッサリア]]地方の主要都市で、[[プティア]]({{lang|el|Φθία}})の中心地であった。紀元前5世紀に起こった[[ペルシア戦争]]では(マケドニア側に付いたテッサリアと違い)ギリシア連合側に付いた。紀元前4世紀には地域の軍事的強国に成長したテッサリアに併合され、その後テッサリアが[[ピリッポス2世]]率いる[[マケドニア王国]]に服属したため、この地もマケドニアの一部となった。[[第二次マケドニア戦争]]と[[第三次マケドニア戦争]]では戦場となり、その後この地域一帯は[[共和ローマ]]の一部となった。
 
紀元前48年には[[ローマ内戦 (紀元前49年-紀元前45年)|ローマ内戦]]では[[グナエウス・ポンペイウス|ポンペイウス]]らの元老院派と[[ガイウス・ユリウス・カエサル|カエサル]]が[[ファルサルスの戦い]]をファルサラの平原で行った結果、カエサル派が勝利し最終的にローマの共和制が終焉することとなった。