「仏滅紀元」の版間の差分

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{{出典の明記|date=2012年8月}}
'''仏滅紀元'''(ぶつめつきげん、[[英語]]:Buddhist{{lang-en|Buddhist calendar)calendar}})とは、[[釈迦]]が[[入滅]]したとされる年、またはその翌年を[[元年]]とする[[紀年法]]である。'''仏暦'''(ぶつれき)ともいう。[[東南アジア]]の[[仏教]]徒の多い国などで用いられている。
 
== 概説 ==
[[ミャンマー]]や[[スリランカ]]では、釈迦が入滅した'''その年'''の[[紀元前544年]]を仏滅紀元元年(=1年)とする。一方で、[[タイ王国|タイ]]、[[カンボジア]]、[[ラオス]]では、釈迦が入滅した'''翌年'''の[[紀元前543年]]を仏滅紀元元年としているため、双方の紀元には1年の違いが生じている。それぞれ、キリスト紀元([[西暦]])に544、あるいは543を加えた値が仏滅紀元となる。
 
英語では「Buddha Era」といい、仏滅紀元2548年を英語で表記するときはB.E.2548のように頭文字を用いて表記する。なお、釈迦の入滅の年は、宗教的な伝来にもとづくもので、学術的に言われている年と食い違っている。
 
== 使用 ==
使用の始まりは、タイ王国で[[ラーマ6世]]によって[[1912年]]に[[ラッタナコーシン暦]]が廃止され、代わりに仏滅紀元が導入された事である。導入の背景には[[西暦]]を導入するよりは、仏滅紀元を導入した方が仏教の研究上都合がよかったからだと言われている。タイに導入された当初は[[太陰暦]]であったが、仏滅紀元2483年([[1940年]])にその年が9月でうち切られ、[[グレゴリオ暦]]([[太陽暦]])との誤差が修正されたため、現在は西暦との間で日にちのずれズレがない<ref>赤木 [1994] p.256</ref>。
 
上記にもかかわらず、2014年現在のタイでは西暦とのずれが修正される前の仏滅紀元が一般的に使用されている。(一例:各種行政文書)