「国際寝台車会社」の版間の差分
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[[1914年]]に[[第一次世界大戦]]が勃発すると、国際列車の運行は不可能となり、また本社のあるベルギーがドイツの占領下に置かれたこともあって、ワゴン・リ社の活動はほぼ停止した。ワゴン・リ社の車両は国内路線のほか、各国の軍に徴用されて使われた。
大戦中ドイツは、フランスを中心としていたワゴン・リ社の路線網に取って代わるべく、ベルリン-イスタンブール間に[[バルカン列車]] ({{lang|de|Balkanzug}}) を走らせ、また[[ミトローパ|中央ヨーロッパ寝台・食堂車株式会社]](MITROPA = {{lang|de|'''Mit'''teleu'''rop'''äische Schlafwagen - und Speisewagen '''A'''ktiengesellschaft}}, ミトローパ)を設立した。戦後ミトローパ社自体は残ったものの、ドイツを中心とした路線網は解体された。
==== 食堂車2419D ====
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[[File:Orient-Express 1883-1914-3.png|thumb|''Orient Express'' 1883-1914]]
{{Main|オリエント急行}}
[[1883年]]に運行を開始した、西ヨーロッパと東ヨーロッパを結ぶ列車である。西ヨーロッパ側ではパリのほか[[カレー (フランス)|カレー]]、オーステンデ、ベルリンなどを起点とするものもあった。中間では[[ストラスブール]]、[[ミュンヘン]]、ウィーンを経由する従来の経路に加え、[[ローザンヌ]]から[[シンプロントンネル]]を通って[[ミラノ]]、[[ヴェネツィア]]を経由するルート(シンプロン・オリエント急行)や、[[バーゼル]]から[[アールベルクトンネル (鉄道)|アールベルクトンネル]]を通って[[インスブルック]]、ウィーンに至る経路(アールベルク・オリエント急行)などがあった。また東部ではイスタンブールのほか[[アテネ]]や[[ブカレスト]]を終点とする系統があった。
=== 北急行・南急行 ===
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