「島津斉彬」の版間の差分

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== 人物・逸話 ==
[[ファイル:ShimaduShimazu Nariakira 1857.jpg|thumb|200px|斉彬の写真(1857年撮影、尚古集成館蔵)]]
* 斉彬により着手された[[殖産興業]]の一部は[[尚古集成館]](鹿児島県[[鹿児島市]])に展示されている。特に、ガラス製品製造のうちガラス工芸品は薩摩の紅ビードロとして珍重され、大名間の贈り物としても用いられた品。維新後その技術は断絶し、当時のものは希少な骨董として高い価値を持つ。近来になり復元・復興に成功し、[[薩摩切子]]の名で生産されている。
* 最も早く写真に撮影された大名であるといわれている。また撮影技術自体にも興味をもち、城の写真を自ら撮影するなど、好奇心に富んだ人物であったといわれている。斉彬が撮影した写真は、当時の技術では上出来であったと伝えられている。