「朝鮮王朝実録」の版間の差分
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李氏朝鮮では[[高麗]]王朝の伝統を受け、[[春秋館]]及び[[芸文館]]を常設して時政を記録した。
[[1413年]]([[太宗 (朝鮮王)|太宗]]13年)に[[太祖 (朝鮮王)|太祖]]実録15巻を編纂したのを始め、歴代国王の実録を編修し、[[文禄・慶長の役]]以前までは実録を[[漢城]]の春秋館及び[[忠州]]、[[星州]]、[[全州市|全州]]の史庫に各1部ずつ保管していた。各地に保管された実録は、豊臣軍による[[文禄・慶長の役]]の際、[[忠州]]・[[星州]]史庫は豊臣軍の攻撃に
[[1603年]]([[宣祖]]36年)実録の再刊行とされる作業が行われ、太祖から[[明宗 (朝鮮王)|明宗]]までの13代の実録、804巻を3部ずつ刊行した。この時に印刷した3部と全州史庫にあった原本、再出版の時の校訂本など5部の実録を、1部は以前のように春秋館に置いて、他の4部は[[江華島]]の[[摩尼山]]、[[太白山]]、[[妙香山]]、[[五台山 (江原道)|五台山]]に史庫を新設して1部ずつ分けて保管するようになった。以後、妙香山史庫は[[茂朱]]の[[赤裳山]]に、摩尼山史庫は江華島に鼎足山史庫を新たに作って移管している。
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