「ジミ・ヘンドリックス」の版間の差分

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[[ファイル:Jimi Hendrix experience 1968.jpg|thumb|180px|エクスペリエンス(1968年)]]
ヘンドリックスは演奏技術が高かっただけではなく、ギターを歯で弾いたり、あたかも男性器のようにギターネックを片手でシゴいたりギターボディのボトムを股間に押し当てて痙攣した末、床に叩き付けて火を放つなど、激しくセクシーなステージアクションも人気の要因だった。また、古い軍服を身につけ(ミリタリー・ファッション)、強くパーマをかけた独特のヘアスタイル(エレクトリック・ヘア)をトレードマークにするなど、ファッション面でも注目を集めた。そのため「ブラック・エルヴィス」(黒人の[[エルヴィス・プレスリー]])、「ワイルドマン」といった異名も生まれ、センセーショナルな扱いを受けることが多かった。しかし生身のヘンドリックスはシャイで礼儀正しい人物だったという証言も多い。[[マイルス・デイヴィス|マイルス・デイビス]]によれば、ヘンドリックスは世間のワイルドなイメージとは逆だったという<ref name="davis">『マイルス・デイビス自叙伝II』(マイルス・デイビス&クインシー・トループ著、中山康樹訳、宝島社文庫、ISBN 4-7966-1683-7)p.131, 153-154</ref>。
 
黒人でありながら白人向けのロックスターとして売り出されたのも異例なことだった<ref>Billboard R&B charts 1967–1971</ref><ref name="soul-patrol.com">http://www.soul-patrol.com/funk/jh_bog.htm</ref>。
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=== リッチー・ブラックモアとの関係 ===
ロックギタリストの[[リッチー・ブラックモア]]は、ヘンドリックスの影響を強く受けていることを公言しており、自身のバンドである[[ブラックモアズ・ナイト]]でヘンドリックスを偲ぶ楽曲も発表している。ブラチークモアが在籍していた[[ディープ・パープル]]は、[[ハッシュ (アルバム)|デビュー・アルバム]]でヘンドリックスの演奏(カバー)で有名な「ヘイ・ジョー」をカバーしており、1968年にクリームの解散コンサートの前座を務めた際に、コンサートを見にきたヘンドリックスからパーティに招待されている(ブラチークモア本人が直接ヘンドリックスと会ったり話をしたかは不明)。ブラチークモアはその後、1969年製ブラックストラトキャスターを入手して1972年中期までトレードマークとし、他にテレキャスターネックを装着したホワイト・ストラトキャスターや、ステージで左用ストラトキャスターを時折使用するなど、ヘンドリックスへの強い傾倒振りを示していた。
ディープ・パープルの初代ベーシストだったニック・シンパー<ref>ミッチ・ミッチェルと友人だったという</ref>は、ヘンドリックスに会った際「TVで見たけどお前のバンドにいる黒装束のギタリスト(ブラチークモア)は凄いな」と言われたという。
ディープ・パープルの「スピード・キング」は、ヘンドリックスの「Fire」がヒントになったという(バンドメンバーの[[ロジャー・グローヴァー]]の談話、後にブラチークモア本人もコメントしている)。ブラチークモアが率いていた[[レインボー (バンド)|レインボー]]のアルバム『STRAIGHT BETWEEN THE EYES(邦題=[[闇からの一撃]])』(1982年)のタイトルは、ジェフ・ベックがブラチークモアに語った「ジミの演奏は視覚にストレートに飛び込んでくる」という言葉が元になっている<ref name="sryo">シンコーミュージック刊『リッチー・ブラックモア レインボー編』 ISBN 4401612027 より。</REFref>
 
=== 関係者のその後 ===