「プロジェクトX〜挑戦者たち〜」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
編集の要約なし
編集の要約なし
42行目:
 
=== 人気 ===
放映当初はNHKが題材となる企業・団体や従業員・商品名を宣伝目的ではないにしろ実名で取り上げるという前例の無い演出スタイルで瞬く間に{{要出典範囲|date=2016年9月|高[[視聴率]]を記録}}し、人気番組の1つになった。また、ドキュメンタリー番組の意表を突いた[[田口トモロヲ]]の独特の語りや、[[中島みゆき]]によるオープニング[[主題歌]]「[[地上の星/ヘッドライト・テールライト|地上の星]]」」も話題{{誰|post-text=の|date=2016年9月}}を呼んだ。
 
放送2回目の[[日本ビクター]]の[[VHS]]開発を取り上げた「[[窓際族]]が世界規格を作った〜VHS・執念の逆転劇〜」は[[東映]]によって2002年に『[[陽はまた昇る (映画)|陽はまた昇る]]』として長編映画化された。放送7回目の[[島秀雄]]と[[東海道新幹線]]建設を取り上げた「執念が生んだ新幹線 老友90歳・飛行機が姿を変えた」は、1998年8月22日放送の「[[奇跡体験!アンビリバボー]]」内の『感動のアンビリバボー』コーナーで『レイルロード・オブ・ドリームス〜奇跡の弾丸列車計画〜』として短編ながら既にドキュメンタリードラマ化されていた。同作は更に『[[新幹線をつくった男たち|新幹線をつくった男たち〜夢よ、もっと速く〜]]』として2004年に[[テレビ東京]]で[[2時間ドラマ]]化された。
 
2002年の[[第53回NHK紅白歌合戦]]には中島が番組オープニングテーマの「[[地上の星/ヘッドライト・テールライト|地上の星]]」で初出場し、放送14回目の「黒四ダム 断崖絶壁の難工事」の舞台となった[[黒部ダム]]内部からの生中継で歌唱を行うという事実上の番組[[タイアップ]]を披露した。
 
そうした問題に加えて、同番組も『プロジェクトX21展』と称した特別展を開催した際、協賛企業から最高で3150万円の協賛金を集めていたことが[[衆議院]][[総務委員会]]で取り上げられ<ref>[https://web.archive.org/web/20040911233228/http://www.asahi.com/national/update/0910/010.html プロジェクトX展の協賛金 企業側は「広告費」] - 朝日新聞(2004年9月10日10:25)''アーカイブ''。 </ref>、一連の不祥事を受けて[[海老沢勝二]]がNHK会長を退任した後の2005年9月22日に、同年12月での番組の終了が発表された。4月の[[改編]]期を待たずの終了は[[打ち切り]]を示唆するものだった。後継番組は翌年1月から放送を開始した[[プロフェッショナル 仕事の流儀]]である<ref>[http://techon.nikkeibp.co.jp/article/TOPCOL/20051213/111596/ 「プロジェクトX 挑戦者たち」の後継番組を一足先に見てきました - 日経ものづくり - 日経テクノロジーオンライン]{{リンク切れ|date=2015年12月}}</ref>
一方で、[[2002年]]以降は「アンコール」という形で過去作品を再放送する回が増加し、商品開発や災害救助など過去作品と似通ったテーマを取り上げるなど{{独自研究範囲|date=2016年9月|[[マンネリ]]化の兆しが見られるようになった}}。2004年以降になると{{要出典範囲|date=2016年9月|視聴率1桁台の放送回が頻繁になり}}、海外で活躍する日本人や現在進行中のプロジェクトを取り上げる等の試みも見られた。しかし、[[2005年]]5月10日放送分の「ファイト!町工場に捧げる日本一の歌([[高嶋昌二]]・[[大阪府立淀川工科高等学校]][[グリークラブ]])」に関しては放送内容の一部において過剰表現が{{要出典範囲|date=2016年9月|[[週刊誌]]・[[タブロイド]]で報じられ}}、{{独自研究範囲|date=2016年9月|2004年から[[NHKの不祥事]]が社会問題化したこともあり、それ以後は1桁台が続いた}}。
 
そうした問題に加えて、同番組も『プロジェクトX21展』と称した特別展を開催した際、協賛企業から最高で3150万円の協賛金を集めていたことが[[衆議院]][[総務委員会]]で取り上げられ<ref>[https://web.archive.org/web/20040911233228/http://www.asahi.com/national/update/0910/010.html プロジェクトX展の協賛金 企業側は「広告費」] - 朝日新聞(2004年9月10日10:25)''アーカイブ''。 </ref>、一連の不祥事を受けて[[海老沢勝二]]がNHK会長を退任した後の2005年9月22日に、同年12月での番組の終了が発表された。4月の[[改編]]期を待たずの終了は[[打ち切り]]を示唆するものだった。後継番組は翌年1月から放送を開始した「[[プロフェッショナル 仕事の流儀]]」である<ref>[http://techon.nikkeibp.co.jp/article/TOPCOL/20051213/111596/ 「プロジェクトX 挑戦者たち」の後継番組を一足先に見てきました - 日経ものづくり - 日経テクノロジーオンライン]{{リンク切れ|date=2015年12月}}</ref>。
 
打ち切りに際して、最終回では中島がスタジオに出演し、NHKの歌番組でそれまで歌われなかったエンディングテーマの「[[地上の星/ヘッドライト・テールライト|ヘッドライト・テールライト]]」を初披露した。
 
ビデオ・DVDの売上は80万本以上を記録した<ref>[https://www.toonippo.co.jp/tokushuu/danmen/danmen2005/1227.html 断面2005 「プロジェクトX」が終了/さらば、サラリーマンの夢]{{リンク切れ|date=2015年12月}}、[[東奥日報|東奥日報社]]2005年12月27日</ref>。なお、本番組は{{要出典範囲|date=2016年9月|教科書でも多く取り上げられている}}。一方で、[[全日本電機・電子・情報関連産業労働組合連合会]]は「現役を退いた後の“遅すぎる評価”」と評している<ref>[http://classic-web.archive.org/web/20080308132257/http://www.yomiuri.co.jp/editorial/column1/news/20080301-OYT1T00812.htm 「編集手帳」] 読売新聞2008年3月2日、ウェブアーカイブ</ref>。
 
=== 演出パターン ===
61 ⟶ 57行目:
冒頭。古い映像などをテーマソングが流れる中、短いカットで写す。細い[[明朝体]]でキーワードが表示される。
 
番組序盤。[[田口トモロヲ]]の特徴のある淡々としたナレーションで、プロジェクトを成し遂げようとする主人公(複数)の境遇が描かれる。再現ドラマ(俳優はセリフを喋らない)が挿入されることもある。
 
番組中盤。プロジェクトはいよいよ佳境に入るが、困難が彼ら・彼女らを襲う。それを克服する過程が描かれる。このあたりでスタジオに放映当時に存命の主人公もしくは主人公の近縁者がゲストとして登場<ref group=注釈>番組開始当初はプロジェクトとは無関係の人間がゲスト出演しており(例として、第1回放送での[[松坂慶子]]・[[見城徹]]など)プロジェクトの主人公や近縁者がゲスト出演していなかった。</ref>し、司会からインタビューを受けて当時を回想する。
70 ⟶ 66行目:
 
大半はハッピーエンドとなるが、日本初の[[移植 (医療)|生体肝移植]]プロジェクトを取り上げた「裕弥ちゃん1歳・輝け命〜日本初・親から子への肝臓移植〜」(移植手術は成功するものの、その後の生体[[拒絶反応]]で裕弥ちゃんは亡くなる)のように、ハッピーエンドとはならなかった回もある。
 
=== 各所の評価 ===
{{要出典範囲|date=2016年9月|[[日本PTA全国協議会]]の「子供に見せたい番組」に、[[2001年]]から4年連続1位に掲載された}}。また、{{要出典範囲|date=2016年9月|[[橋田賞]]などを受賞}}し、後述の通り諸外国で放映される等、{{独自研究範囲|date=2016年9月|概して高い評価{{誰|post-text=の|date=2016年9月}}を受けている}}。テレビのドキュメンタリーを社会派からエンターテイメントに変えたターニングポイント的番組とされており{{誰|post-text=によって|date=2016年9月}}、NHKの番組としては『[[みんなのうた]]』と並んで、番組の二大タイトルとされている{{誰|post-text=によって|date=2016年9月}}<ref>[http://www.pronweb.tv/modules/newsdigest/index.php?code=2073 ビジネスニュースサイトPRONWEB 『新価格版 プロジェクトX 挑戦者たち』第1弾10タイトル発売]</ref><ref>[http://www.pronweb.tv/modules/newsdigest/index.php?code=2361 ビジネスニュースサイトPRONWEB NHKの2大タイトル「みんなのうた」「プロジェクトX」DVD発売 プロジェクトXに見る日本人の底力]</ref>。
 
=== 番組に対する抗議など ===
放映前半時には{{独自研究範囲|date=2016年9月|高評価{{誰|post-text=の|date=2016年9月}}を受けていた}}番組であったが、{{独自研究範囲|date=2016年9月|抗議も少なくなかった}}。2005年5月放送分で過剰表現が問題となり([[#番組に対する抗議など|後述]])、本番組は[[やらせ]]ではないかという批判も主に[[週刊誌]]等から{{独自研究範囲|date=2016年9月|多く上がった}}{{Refnest|group=注釈|なお、活字媒体におけるテレビドキュメンタリーの「やらせ」批判については、一般的に記者の多くに映像制作の経験がないため、的を射たものばかりではないとされている{{誰|post-text=によって|date=2016年9月}}<ref>太田・長谷『テレビだョ!全員集合』青弓社。同書は文部科学省科研費受託研究をまとめたもの。</ref>。ドキュメンタリー演出上の再現映像は過剰になった場合やらせと誤認されやすく、本番組後半は{{独自研究範囲|date=2016年9月|やや演出過剰の側面があり批判{{誰|post-text=の|date=2016年9月}}を浴びることが多かった}}。}}。
 
* 例
** [[2000年]]11月28日放送の「よみがえれ日本海」では、[[ナホトカ号重油流出事故]]に際して神戸から来た[[災害ボランティア]]が、地元の青年会議所を指導して「三国重油災害ボランティアセンター」を作ったことになっているが、実際には当初それぞれが受け入れ窓口を作り、話し合いで一本化したもの<ref>[http://mikuni-minato.jp/wordpress-pj/wp-content/uploads/2008/03/mr_0710_nakhodka_report.pdf ナホトカ号重油流出事故から10年 三国湊型環境教育モデルの構築・普及活動 調査報告書] 特定非営利活動法人三国湊魅力づくりプロジェクト</ref>。
** 2001年6月19日放送の「父と息子 執念燃ゆ 大辞典」は『[[広辞苑]]』を[[岩波書店]]から刊行した[[新村出]]・[[新村猛|猛]]親子に焦点を当てた内容だったが、『広辞苑』が同じ新村出を編者として[[1935年]]に[[博文館]]から刊行された『辞苑』の改訂版であったことに一切触れず、新村親子の努力で『広辞苑』がいきなり発売されたかのような内容になっていたため、 同社の後身である[[博文館|博文館新社]]から抗議を受け、NHKは書籍版において、博文館および『辞苑』について加筆を行った<ref group=注釈>なお、{{要出典範囲|date=2016年9月|NHK側は「夕刊フジの報道は重大な事実誤認に基づいた悪意に満ちたもの」であるとして反論の声明文を当時のホームページに掲載している}}(具体的にどの部分が事実誤認なのかは明記せず)。</ref><ref>[[夕刊フジ]]2001年7月18日の記事より{{出典無効|date=2016年9月}}。</ref><ref>[http://web.archive.org/web/20010721134249/www.zakzak.co.jp/geino/n-2001_07/g2001071808.html プロジェクトX事実わい曲でNHK謝罪 広辞苑誕生めぐるエピソード] - [[夕刊フジ]]ウェブアーカイブ</ref><ref>[http://web.archive.org/web/20010721134259/http://www.zakzak.co.jp/top/3t2001071901.html NHK「謝罪なし」に当事者カンカン 局と担当プロデューサーに食い違い] - [[夕刊フジ]]ウェブアーカイブ</ref>。
** 2001年7月10日放送の「[[白神山地]] [[マタギ]]の森の総力戦」では、[[青森県|青森]]・[[秋田県|秋田]]で別々に発生しのちに合同した反対運動が、秋田側の呼びかけで始まったかのように描写された。関係者の抗議を受け<ref>[http://www.jomon.ne.jp/~misago/projectX.html NHKプロジェクトX、「白神山地・マタギの森の総力戦」〜奇跡のブナ林・攻防2000日への質問状] 財団法人[[日本自然保護協会]]</ref>、この回のビデオソフト化および書籍版への掲載は見送られている。
** [[2002年]]1月8日放送の「[[あさま山荘事件|あさま山荘]] 衝撃の鉄球作戦」では、極寒の中で地元住民が[[機動隊]]員に対して毎日大量の[[おにぎり]]を作って協力した、と放送されたが、実際は極寒の中でおにぎりはすぐに凍り付いてしまう状況であり、温かい食事にありつけたのは外周警戒の者達だけだった。最も役に立ち、食されたのは、本番組でも前年に放送された「[[カップヌードル]]」である。<ref>[https://www.nissin.com/jp/about/style/chronicle/ 安藤百福クロニクル]</ref>
** 2002年9月17日放送の「革命トイレ、市場を制す」では、住宅機器メーカーの[[TOTO (企業)|東陶機器]] (TOTO) が1980年に開発した[[ウォシュレット]]が国内初の[[温水洗浄便座]]とされていたが、実際には1967年に[[森村グループ|同根同業]]の伊奈製陶(現在は[[LIXIL]]の[[INAX]]ブランド)から発売された「[[温水洗浄便座#INAX|サニタリーナ61]]」が国内初の温水洗浄便座<ref>[http://astand.asahi.com/magazine/wrscience/special/2011090800024.html これからのウォシュレットの話をしよう ] 朝日新聞DIGITAL WEBRONZA</ref>である<ref group=注釈>「サニタリーナ61」は便器と一体化したモデルであるが、後付型温水洗浄便座にしても1976年に発売された同社の「サニタリーナF1」が先鞭をつけている。</ref>。また、番組内で「停車車両から伸びるアンテナを見て伸縮式ノズルを考え出した」、「[[雨]]の中でも故障なく動く[[信号機]]を見て防水仕様の[[集積回路#ハイブリッド集積回路|ハイブリッドIC]]の使用を思い立った」ともあったが、これらの機構は「サニタリーナ」で既に実現しており、これらを参考にした可能性もある<ref group=注釈>ノズルの動作についてはウォシュレットが電動式、シャワートイレ(サニタリーナ)は水圧式の違いがある。</ref>。<!--この構成のためか(伊奈製陶が東陶機器と並ぶ住宅機器メーカーであるにも拘らず)-->番組内では「サニタリーナ」の存在自体が全くなかったかのように描写された。
** 2002年10月28日放送の「[[カーナビゲーション|カーナビ]] 迷宮を走破せよ」では、[[音響機器]]メーカーの[[パイオニア]]が地図データの供給を巡り、住宅地図メーカーの[[ゼンリン]]から「俺達は[[ソニー]]と組む」と突き放された、と紹介されたが、実際にはカーナビゲーションソフトの規格統一を提言したゼンリンからの申し出をパイオニアが断って独立した歩みを選択した<ref group=注釈>書籍版ではパイオニア側がプロジェクトを抜けたという記述になっている。</ref>ものであり、取材を受けて社内映像まで撮影させた上に悪役に仕立て上げられたとして、{{要出典範囲|date=2016年9月|ゼンリンからNHKに対して抗議申し入れがなされた}}。さらに、パイオニアのカーナビゲーションが発売された時、既に[[マツダ・コスモ|マツダ・ユーノスコスモ]]のオプションとして世界初の[[グローバル・ポジショニング・システム|GPS]]カーナビゲーション([[三菱電機]]との共同開発)が搭載されており、パイオニアは後付け型カーナビゲーションを最初に市販したことでしかなかった。
** 2005年5月10日放送の「ファイト!町工場に捧げる日本一の歌」で、採り上げられた側の大阪府立淀川工業高等学校(現・[[大阪府立淀川工科高等学校]])が、事実とは異なる点があるとして訂正・謝罪要求を申し入れた<ref name="zakzak2005050524">{{Cite web |date=2005-05-24 |url=http://www.zakzak.co.jp/gei/2005_05/g2005052401.html |title= 「プロジェクトX」打ち切り危機…また問題発覚 NHK「一部に誤りがあった」 |work= |publisher=ZAKZAK(夕刊フジ) |accessdate=2016-09-30}}</ref>。放送では「淀川工業高校は荒れていて音楽など全く縁がなかったが、新任の国語教師([[高嶋昌二]])が他の職員の反対を押し切り[[グリークラブ]]([[男声合唱]]部)を設立。合唱を通じて生徒を更生させ、合唱コンクールに出場する。しかし、コンクール会場には[[パトロールカー|パトカー]]が来ているなど、淀川工業高校の参加に対し主催者側が大きな警戒感を露にした」となっていたが、当時から淀川工業高校は荒れていない高校であり、前々から[[吹奏楽]]部があって全国大会で上位のレベルであった。グリークラブ設立の際も校長自ら早期に賛成している。合唱コンクール参加時も、主催側は数ある参加校のひとつとしてしか考えておらず、警戒する理由はなくパトカーも来ていなかったなど、事実とは異なる表現であった<ref name="zakzak2005050524" />。NHK側もこの回については行き過ぎた点があったとし、同年5月28日放送分の『[[土曜スタジオパーク]]』でこれまでの経緯を説明し、担当部長が生出演して謝罪した。また、5月31日の番組終了後にも[[国井雅比古]]が謝罪のコメントを行った。公式サイトからはこの回の紹介ページが削除され、<!--“'''放送された事実'''”だけが残され、-->書籍版への掲載も見送られた{{Refnest|group=注釈|ただし、『NHK年鑑2006<ref>『NHK年鑑2006』(2006年11月20日発行、ISBN 978-4-14-007225-7)に掲載の「資料編・主な番組の放送一覧(2005年度)」。</ref>』では、当該回もきちんと紹介されている<!--(前述の通り、放送された事実は残ったため)-->。}}。