「プルーセン」の版間の差分

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Pameddi(ポメサニア)は、「近くに」を意味する言葉と「はちみつ」を意味する言葉から派生したもので、これは[[インド・ヨーロッパ祖語]]の語根*medhu-まで起源が遡ると考えられる。Nadruvia(ナドルヴィア)の語源はいろいろに想定されてきた。[[スラヴ語]]などでna(近くに、接した)とdravis(木)あるいは語根*dhreu-(流れ、川)から来たとするものなどである。それは[[古プロシア語|古プロイセン語]]のNadyn(森林)、Nede(池)や、ドニエプルの支流の名前であるNydar(リトアニア語Nedejan、ロシア語Nadva(再建されたバルト語では*Nadva ))とも関係がある。
 
これらの種族名は、わずかに1〜2個だけ生き残ったバルト語である[[ラトビア語]]とも明らかな関係が存在する。ラトビア語でも川をBa-rtaと言う。"Pameddi"を見れば、pa(近くに)とmedi(はちみつ)が含まれているのが分かる。ラトビア語で"Nadruvia"はnodruveのような発音になるが、noは「近くに」、druvaは「トウモロコシ畑」である。
 
これらの要素の文脈は解明されておらず、Buriが現在のプロイセンの語源であるかどうかも不明である。紀元2世紀の地理学者[[クラウディオス・プトレマイオス]]はヨーロッパのSarmatia (ヨーロッパの8番目の地図)に住んでいるBorusciを挙げ、彼らはビスラ・フルメンによってゲルマニアから分離されていると述べている。その地域のプトレマイオスの地図は非常に混乱しているが、このBorusciは現在のプロシアより東にあるようで、ビスラ川の河口においてはギュトン(ゴート族)の支配下にあっただろう。タキトゥスがAesti(東の人)と記録したように、後にヨルダネス (Jordanes) は彼らをゴート人の帝国の一部として記録した。