「ジョージ・ギルバート・スコット」の版間の差分

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|awards = [[RIBAゴールドメダル]](1859年)
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サー'''ジョージ・ギルバート・スコット'''('''George Gilbert Scott'''、[[1811年]][[7月13日]] - [[1878年]][[3月27日]])は、[[イギリス]]の[[建築家]]。自分の設計作品と並んで、修復の仕事でも有名である
 
[[ヴィクトリア朝]]の[[ゴシック・リヴァイヴァル建築]]の中心人物であり、もっとも旺盛な活動をした建築家なのである。生涯におよそ800の建築工事をした<ref>https://www.theguardian.com/commentisfree/2011/jul/08/sir-george-gilbert-scott-st-pancras</ref>。
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スコットによるロンドンの[[セント・パンクラス駅]]およびミッドランド・ホテルは、1864年から1868年にかけて建設された巨大な停車場屋上の全面に建つ。スコットの他の重要な作品には, リーズ診療所(1867年), [[グラスゴー大学]](1870年)がある。
 
==家族==
孫息子のサー[[ジャイルズ・ギルバート・スコット]] (1880年ー1960年) ([[:en:Giles Gilbert Scott|Giles Gilbert Scott]]) は、1903年の[[リヴァプール大聖堂|リヴァピールの英国国教大聖堂]]の競争設計で入選し、及びテムズ川沿いにそびえ立つ[[バタシー発電所]]や[[バンクサイド火力発電所]] (現在の[[テート・モダン]]) を設計している。
 
== 代表作==