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河南尹となっていた[[李膺 (後漢)|李膺]]らが[[宦官]]と対立し弾圧を加えられると([[党錮の禁]])、陳蕃は李膺らを擁護し、諫言を続け、ついに免職された。
 
皇后[[鄧猛女]]が桓帝に廃位された後、陳蕃は[[竇妙]](大将軍の[[竇武]]の娘)の出自の高さを理由に、竇妙を新たな皇后に推した。桓帝が崩御すると、陳蕃は皇太后となった竇妙に召され、[[太傅]]、録尚書事に任じられる。桓帝の後継として劉宏([[霊帝 (漢)|霊帝]])を迎え竇武と協力し政治を執った。[[侯覧]]、[[曹節 (宦官)|曹節]]といった[[宦官]]勢力を除こうとするが、宦官勢力の逆襲を受け竇武は誅殺され、陳蕃は仲間を80人ほど連れて抗議のため参内し宦官の[[王甫 (宦官)|王甫]]を罵倒しつつ捕縛された。投獄されると即刻殺害された。年齢は70を超えていたという。
 
子の陳逸は陳蕃の友人の朱震に匿われ、後に冀州刺史[[王芬]]の霊帝廃立計画に参加している。