「ドイツ語共同体」の版間の差分

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しかし併合からわずか20年ののちの1940年、オスト=カントネ地方は[[第二次世界大戦]]においてふたたびドイツ領となった。自らがドイツ人とされるようになりオスト=カントネ地方の住民の多数はドイツによる支配を歓迎した。1945年にドイツが敗戦したことを受けてオスト=カントネ地方はふたたびベルギー領となり、ナチス・ドイツに協力したとしてベルギーおよびワロンの当局によって現地住民の非ドイツ化がなされようとした。
 
1960年代初頭、ベルギーは[[オランダ語]]話者([[フラマン語]])の北部の[[フランデレン地域]]、[[フランス語]]話者の南部の[[ワロン地域]]、二重言語地域としての首都[[ブリュッセル]]、そして[[オスト=カントネ地方]]のドイツ語話者地域という、言語別の4つの地域区分を導入した。

[[1973年]]には3つの共同体と3つの地域が設置され、それぞれに自治権を与えた。このときドイツ語共同体には立法機関として[[ドイツ語共同体議会]]が設置された。現在、ドイツ語共同体は、とくに言語と文化については一定の自治権を有しているが、地域としてはフランス語話者の地域である[[ワロン地域]]にとどまっている。近年はドイツ語共同体も単一の地域の地位を得るべきだ、ワロン地域からとりわけ社会政策、遺跡・建造物保護、環境保護政策、交通、基礎自治体の財政に関する権能を移管するべきだという主張がなされている。ドイツ語共同体首相の[[カール=ハインツ・ランベルツ]]はドイツ語共同体の地域としての完全な自治権を得ようと主張しているひとりである<ref name="De Groene Amsterdammer">{{Cite web|author=Joost De Vries|coauthors=Alex Tielemans|date=2008-08-15|url=http://www.groene.nl/2008/33/de-triangelspeler-van-belgie|title=De triangelspeler van België|publisher=De Groene Amsterdammer|language=オランダ語|accessdate=2010-11-13}}</ref>。とくに空間計画、都市建設、住宅に関する地域の自治権の獲得を目指している<ref name="De Groene Amsterdammer"/><ref>{{Cite web|date=2009-09-15|url=http://www.demorgen.be/dm/nl/5036/Wetstraat/article/detail/995456/2009/09/15/Duitstalige-Gemeenschap-wil-extra-bevoegdheden.dhtml|title=Duitstalige Gemeenschap wil extra bevoegdheden|publisher=De Morgen|language=オランダ語|accessdate=2010-11-13}}</ref>。
 
== 政府 ==