「武家政権」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
タグ: モバイル編集 モバイルウェブ編集
編集の要約なし
45行目:
 
=== 幕末 ===
[[江戸時代]]末期になり、諸外国が幕府に開国・通商条約締を求めると、[[尊皇攘夷]]などの[[倒幕運動]]が盛んとなり、[[公武合体]]の不調、[[長州征討]]の敗北による政情不安の中で十五代将軍の[[徳川慶喜]]は[[大政奉還]]を行い、武家政権は終焉を迎えた。ただし[[徳川氏|徳川家]]としての武家権力は残るが、やがて[[鳥羽・伏見の戦い]]に始まる徳川家を中心とする勢力と改革により復興した西日本の[[薩長土肥]]ら[[雄藩]]との内戦は朝廷による官軍となった薩長土肥側の勝利となる。しかしこれは雄藩側も各藩の実務下級藩士勢力のクーデターという面を持っている。以後の日本は[[明治政府]]が統治を行い、[[大名]]は[[華族]]、他の武士は[[士族]]とされ、武家は消滅していった。武家の思想は、教育による家族制度の徹底化や徴兵制による軍事国家など明治近代日本に変化した形で生き残ってその後の日本を生み出す元になった。
 
== 武家政権の一覧 ==
92行目:
* [[武家の棟梁]]
* [[征夷大将軍]]
* [[朝敵]]
* [[源平交代思想]]
* [[政権]] - [[軍事政権]]
* [[御恩と奉公]]
* [[下剋上]]
* [[三職推任問題]]
* [[関白相論]]
* [[王政復古]]
* [[草莽]]
* [[政権]] -/ [[親政]] / [[摂政]] / [[院政]] / [[軍事政権]]
* [[日本の政権一覧]]